子ども達に絶大な人気を誇る国民的キャラクター「アンパンマン」(原作・やなせたかし)の記念日。
日付はテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」が日本テレビ系列で放送を開始した1988年(昭和63年)10月3日から。当初は2クール(半年)・全24話で終了する予定だったが、予想以上の人気で放送期間の延長が決まり、その後、長寿番組として定着した。「アンパンマン」はいつまでも子どもたちに「愛と勇気」を届け続ける。記念日は2016年(平成28年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
「パン工場」に住むパン作りの名人・ジャムおじさん。彼は“心を持ったあんパン”を作りたいと思っていたが上手くいかずに困っていた。ある夜、夜空の流れ星がパン工場のパン焼き窯に降り注ぐ。この「いのちの星」があんパンに宿り、アンパンマンが誕生したのだった。
「アンパンマン」はテレビアニメのほかにも、アニメ映画、漫画、ゲームソフト、おもちゃ・グッズなど多数の派生作品・商品が存在する。また、高知県の「香美市立やなせたかし記念館」(愛称・アンパンマンミュージアム)や全国5ヵ所にある「アンパンマンこどもミュージアム」などの関連施設もあり、「アンパンマン」好きな子ども達をはじめ多くのファンが訪れている。
アンパンマンと正義
ヒーローとしてのアンパンマンが誕生した背景には、やなせの従軍経験がある。第二次世界大戦中はプロパガンダ製作に関わっていたこともあり、特に戦いのなかで「正義」というものがいかに信用しがたいものかを痛感した。しかし、これまでのヒーローは派手な格好をし、強い力・武器・必殺技を持ちながら「正義」を口にし、悪者や暴れる怪獣を徹底的にやっつけることが主であり、飢えや空腹に苦しむ者を救わなかった。また、戦いによって汚染や破壊された自然や建物に対しての後始末や謝罪がみられなかった。戦中・戦後における深刻な食糧事情もあり、当時からやなせは「人生で一番つらいことは食べられないこと」という考えをもっていた。50代で『アンパンマン』が大ヒットする以前のやなせは売れない作家であり、空腹を抱えながら「食べ物が向こうからやって来たらいいのに」と思っていたという。こういった事情が「困っている人に食べ物を届ける、立場や国が変わっても決して逆転しない正義のヒーロー」という着想に繋がった。アンパンマンと「正義」というテーマについて、やなせは端的に「『正義の味方』であれば、まず、食べさせること。飢えを助ける。」と述べている。
また、別のインタビューでも、やはり「究極の正義とはひもじいものに食べ物を与えることである」。かつて、たびたび起こった「顔を食べさせることは残酷だ」という批判にも、「あんパンだから大丈夫です」と冗談めかして反論していた。
空腹の者に顔の一部を与えることで力が半減すると分かっていても、目の前の人を見捨てることはしない。かつ、それでありながら、たとえどんな敵が相手でも恐れない。弱点も多く、雨に濡れてもすぐに弱まってしまう。これらの点について「本当のの正義というものは、決して格好のいいものではないし、そしてそのために必ず自分も深く傷つくものです」と、自身が絵本の後書で語っている。また、悪を徹底的に排除することはしない。例として、悪さをするばいきんまんに対して基本的にいきなり攻撃せず、「やめるんだ」とまず説得を試みる、アンパンチなどでばいきんまんを追い払うことができればそれ以上の追撃はしない、仮にばいきんまんと出遭ってもばいきんまんが悪さをしていないのであれば敵視するようなことは一切なく、それどころかもしばいきんまんが困っているのであれば手助けすることすら厭わない、などが挙げられる。
そして、アンパンマンは食べられることはあっても、食べることはない。それは単純に(カレーパンマンやしょくぱんまんとは異なり、)アンパンマンが食事をする場面が一度も描かれないことにも現れている。「飲食」が大きなテーマとなった世界で、本来の「食べる」と「食べられる」の食物連鎖的な循環を裁ち切り、自らを食べ物としてのみ差し出す自己犠牲こそがアンパンマンのヒーロー性を支えているのである。
やなせは、『朝日新聞』2008年(平成20年)8月31日版の「たいせつな本」というコーナーで、影響を受けた作品としてメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』を挙げ、「科学的に生命を創造するというテーマのこの19世紀初頭にかかれた傑作の影響を強くうけて僕はアンパンマンを創作した」と述べている。
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