郵政省(現:総務省)とNHKが1987年(昭和62年)に制定。
日付はアナログハイビジョンの走査線の数が1,125本であることから。この日とは別に、9月16日は通商産業省(現:経済産業省)の制定した「ハイビジョンの日」となっている。こちらはハイビジョンの画面の縦横の比率が9:16であることに由来する。従来のアナログ放送は走査線が525本であり、ハイビジョンは1,125本であるため約2倍の解像度が得られ、美しい画面を見ることができた。
ハイビジョンについて
ハイビジョン(Hi-Vision)は、日本における高精細度テレビジョン放送(High Definition television:HDTV)の愛称である。電気機械器具などを対象として、財団法人NHKエンジニアリングサービスが商標登録している。
NTSCなど従来の標準テレビ放送に対し走査線が2倍以上あるため、高精細な画像である。画面の縦横比(アスペクト比)は人間の視野に合わせて標準の4:3よりも横長な16:9である。
アナログハイビジョンの本格的な研究は1964年(昭和39年)の東京オリンピック後にNHK放送技術研究所で始められ、1972年(昭和47年)には国際電気通信連合・無線通信部門(ITU-R、当時はCCIR)に規格提案が行われた。1976年(昭和51年)に世界初のハイビジョン30インチモニターを完成させた。その後、デジタルハイビジョンに移行している。
アナログハイビジョン
本格的な研究は1964年東京オリンピック後にNHK放送技術研究所で始められ、1972年(昭和47年)にはITU-R(当時はCCIR)に規格提案が行われた。
1976年(昭和51年)に世界初のハイビジョン30インチモニターが完成。1980年代に入って業務用テレビカメラ、高精細ブラウン管、ビデオテープレコーダ、編集制作機器などのハイビジョン映像信号対応機器が開発され実用化の準備が整い始めた。ハイビジョンの愛称もこの頃から使用され始めている。
1982年(昭和57年)5月に、世界初のハイビジョン制作番組となる「日本の美」と「HDTVのためのいろいろなイメージ」の2番組を制作。この年の大晦日には「NHK紅白歌合戦」を初めてハイビジョン収録。この時は実験の名目で収録し、1989年の第40回からは本格的にハイビジョン収録へ移行し現在に至る。
1984年(昭和59年)には、デジタル技術を用いて帯域圧縮を行い、放送衛星のトランスポンダ1波の伝送帯域でアナログ放送を行うMUSE方式 (Multiple Sub-Nyquist-Sampling Encoding system) が開発され、これを用いたBS放送が1989年(平成元年)から実験放送として開始。音楽番組等に少数ながらも機材が投入されていった。更に1994年(平成6年)からは実用化試験放送が開始された。
また、MUSE方式を扱いハイビジョン画質に対応した家庭向けのビデオ機器(民生品)として、ハイビジョンLDが市販化された。(ハイビジョンビデオカセットレコーダW-VHSはベースバンド方式のためMUSE方式ではない。)尚、実現はしなかったもののMUSEによる有料放送も計画されていた。その後、1996年のアトランタオリンピック開催時期に跨り、確実にアナログハイビジョンテレビは普及していった。
NHKは自ら開発したハイビジョン (1125/60HDTV) とMUSEをHDTVの世界統一規格にすることを目指し、「高品位テレビ」の英訳として”High Definition Television”という言葉を使い、欧米で精力的な標準化活動を続けた。 当初NHKはハイビジョンのスクリーン・アスペクト比を5:3 (1.67:1) のヨーロピアン・ビスタに近い値としていたが、規格統一の過程でアメリカン・ビスタ (1.85:1) との中間値に近い16:9 (1.78:1) となった。