2005(平成17)年2月15日に開かれていたPayPal社のパーティで、従業員らが友人にビデオを配る方法として、皆で簡単にビデオ映像を共有できれば…!
と思いついたそう。その思いつきがきっかけとなり、
YouTube
が設立されました。
YouTubeは、
- You
:あなた - Tube
:ブラウン管TV
を指す造語で、初めて投稿された動画は、設立者の一人が公開テストを兼ねて動物園の象の前にいる様子を映したMe at the zooでした。
Me at the zoo
YouTubeは、誰もが動画を投稿できる手軽さと、投稿内容のユニークさから多くの支持を集めていきました。そこに、アメリカの人気TV番組等が『撮影の裏側』といったちょっとした動画を投稿し始めると、爆発的に人気が出始め、世界的に認知されていくこととなりました。
また、YouTube動画を個人のブログにも貼り付けられる仕様が公開されたのを機に、世界規模でのバイラル的普及に成功したことで、動画投稿サイトとしての確固たる地位を築いていくこととなりました。
設立からわずか1年ちょっとの2006(平成18)年には、Googleが約16.5億ドルでYouTubeを買収。
約16.5億ドル
約1,800億2,500万円弱
以後、動画広告も導入されるなど、その市場規模はますます拡大されております。加えて近年ではYou Tubeに動画を投稿することで得られる収益で生計を立てる『Youtuber』も世界規模で増えており、新しい職業の一種との認識が浸透しつつあります。
YouTubeの歴史
2005年2月14日、PayPalの従業員であったチャド・ハーリー、スティーブ・チェン、ジョード・カリムらがカリフォルニア州サンマテオで設立した。ハーリーはペンシルベニア州立インディアナ大学でデザインを、チェンとカリムはともにイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で計算機科学を学んだ。
メディア上でよく取り上げられる一説によれば、ハーリーとチェンが2005年の初めにYouTubeのアイディアをひらめいたのは、サンフランシスコのチェンのアパートで開かれたディナーパーティの動画を共有するのに苦労したことがきっかけだったとされている。カリムはこのパーティに出席しておらず、そのようなパーティが開かれたこと自体を否定している。チェンは、パーティは実際に開かれたとした上で、「YouTubeはディナーパーティをきっかけにされた」という物語は、わかりやすいストーリーを必要とするマーケティング上の都合によってかなり強調されていることを認めた。
カリムによると、YouTubeの発想のきっかけとなったのは、2004年にジャネット・ジャクソンが起こした第38回スーパーボウルでのハプニング(パフォーマンス中にジャクソンの胸が露出した)と、同じく2004年に発生したスマトラ島沖地震だった。カリムはインターネット上でそれらの事件の動画を探したが、どちらの出来事の動画も簡単には見つけることができず、その体験が動画共有サイトのアイディアを生んだという。
YouTubeはベンチャーキャピタルが出資するスタートアップ企業として開業した。主な出資者はセコイア・キャピタルであり、2005年11月から2006年4月までの間に1150万米ドルをYouTubeに投資した。当初、YouTubeの本社はカリフォルニア州サンマテオのピザ販売店・日本食レストランの2階に置かれていた。www.youtube.com
のドメインは2005年2月14日に有効化された。ハーリーとチェンによれば、最初期のYouTubeは動画版のHot or Not(ユーザーが異性の画像をアップロードできる出会い系サイト)を目指しており、その方向性を示したのはカリムだった。
YouTubeに初めて投稿された動画は、ジョード・カリムがサンディエゴ動物園の象の前にいる様子を映した 『ミー・アット・ザ・ズー』(2005年4月23日投稿)だった。2005年5月、YouTubeのベータ版が一般に公開された。YouTubeで初めて再生回数が100万に達した動画は、ロナウジーニョが出演したナイキの広告動画(2005年11月に達成)だった。2005年10月、カリフォルニア州で事業を行うデラウェア州法人としてYOUTUBE, INC.を設立
2005年11月にセコイア・キャピタルから350万米ドルの出資を受け、YouTubeは2005年12月15日から公式なサービスを開始した。公式サービスの開始当時、1日の動画再生回数は約800万回だった。YouTubeは急速に成長し、2006年7月の発表では、1日に6万5000本以上の新たな動画がアップロードされており、1日の動画再生回数は約1億回であるとされた。
アメリカでは、2005年12月頃にNBCの人気テレビ番組『サタデー・ナイト・ライブ』がアップロードされていたことからブログなどで話題になり、2006年上旬にはYouTubeの映像をブログなどに貼り付け簡単に見られるAPIも公開され爆発的に普及した。日本では2006年3月に民間調査会社のネットレイティングスの調査で日本国内からの利用者が約212万人達し、平均利用時間では米国ユーザーを上回っていることが発表された。
2006年4月にアメリカの映画制作会社のワインスタイン・カンパニー、ディメンション・フィルムズと提携し、映画の予告編がYouTubeで配信された。これを初めとして様々な企業や団体がYouTubeにチャンネルを持ち、コンテンツを公開するようになった。2006年10月、YouTubeは本社をカリフォルニア州サンブルーノに移転した。開業当初本社が置かれたカリフォルニア州サンマテオのビル
www.youtube.com
というドメイン名を選択したことで、類似するドメイン名www.utube.com
の保有者との間でトラブルが生じた。 2006年11月、YouTubeへのアクセスを試みた訪問者によって自社サイトが常に過負荷になっているとして、www.utube.com
を保有するUniversal Tube & Rollform Equipment社はYouTubeを提訴した。その後、Universal Tube社は自社サイトのドメイン名をwww.utubeonline.com
に変更した。
YouTubeはサーバ回線コストだけで月間100万ドルに達すると言われていたため、どう収益を上げていくかが注目されていたが、2006年10月9日に16億5000万ドルの株式交換でGoogleの買収に同意した。GoogleによるYouTubeの買収は2006年11月13日に完了した。2006年11月、カリフォルニア州で事業を行うデラウェア州法人としてYOUTUBE, LLCを設立。「アップロードされた動画に対し厳しい規制が取られてしまうのでは」と一般ユーザーから危惧が持たれていたが、ハーリーCEOは「YouTubeはGoogleに買収されたが、今後もYouTubeとしたブランドで独立したサービスを提供し続ける」と述べた。またGoogle側も類似サービスであるGoogle Videoのサービスを継続。検索窓を通じてYouTube内の動画を検索するサービスを開始した。
その後、タイム誌の「Invention of the Year for 2006」に選出された。2007年3月、民間調査会社のネットレイティングスから日本国内家庭からの利用者が1000万人を超えたことが発表された。同年5月、第11回ウェビー賞を受賞。2007年にYouTubeが消費した通信容量は、2000年当時のインターネット全体の通信量に相当すると推定された。
第三者のウェブ分析企業であるアレクサ・インターネットおよびシミラーウェブによれば、YouTubeは2016年12月時点で世界で2番目に訪問者の多いウェブサイト だった。さらにシミラーウェブは、月間150億人以上の訪問者を抱えるYouTubeは、TV・ビデオ分野における世界第1位のウェブサイトであるとした。2008年11月22日、YouTube本部が主催する公式イベント「YouTube Live」がサンフランシスコで開かれ、11月23日には東京で「YouTube Live Tokyo」が開かれた。カリフォルニア州サンブルーノのYouTube本社
市場調査会社のコムスコアが発表したデータによれば、2010年5月にYouTubeの動画は140億回以上再生され、その市場占有率は約43%であり、YouTubeはアメリカにおけるオンライン動画の支配的な供給元であるとされた。
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