4月3日今日は何の日?:日本橋開通記念日
1911年(明治44年)のこの日、日本橋が木橋から現在の石橋に架け替えられ、その開通式が行われた。
開通式は午後1時から行われ、天候は小雨にも関わらず、大勢の見物客が押し寄せた。その数は100万人とも言われ、あまり群集が殺到したため、ケガ人が出るほどの騒動だった。
日本橋は江戸時代に東海道や中山道など街道の起点となった橋。現在の石橋は石造りのアーチを2つ並べた形で、道路橋梁としての技術的な完成度の高さと、欄干部に施された和漢洋折衷の装飾が評価されて、1999年(平成11年)に国の重要文化財に指定された。橋の中央には「日本国道路元標」の文字が埋め込まれており、裏側には当時の内閣総理大臣、佐藤栄作の名前が刻まれている。
日本橋 (橋梁)
日本橋は、東京都中央区の日本橋川に架かる国道の橋である。現在の橋梁は1911年に完成し、国の重要文化財である。また、日本の道路元標があり、日本の道路網の始点となっている。日本橋の名の由来について、江戸時代の『府内備考』で「此橋江戸の中央にして諸国よりの行程もここより定められるゝ故、日本橋の名あり」との記載が見られる。現在の橋は20代目に当たるとされる。1903年(明治36年)の市区改正計画により、幅6間以上の橋梁は鉄橋もしくは石橋を架設することに定められたため、木造だった以前の橋(明治5年築)に替わり、大都市東京にふさわしい新たな橋として1908年(明治41年)に着工、1911年(明治44年)に完成した。石造二連アーチ橋で、橋の長さ49メートル (m)、幅27 m、設計は米本晋一。橋柱の銘板にある「日本橋」の揮毫は徳川慶喜のもの。大正天皇は、現在の石橋に架け替えられた2年後に当たる1913年(大正2年)の作とされる漢詩「日本橋」の中で、「日本橋」の名は日本の道路の起点として名に恥じぬふさわしい風格を備えているという意味の橋を賞賛する詩を詠んでいる。路面電車(後の都電)を通すことが決まっていた路面はわずかにアーチを描き、橋脚と橋台は山口県産の名石、側面は真壁石、アーチ部分と道路の表面は稲田石を使っている。内部は、最も荷重の掛かる両端がコンクリートで、さほど荷重の掛からない中央部分が煉瓦。推定寿命は1000年程度とされる。装飾顧問は妻木頼黄、装飾制作は東京美術学校、青銅像の原型製作は渡辺長男が担当した。西洋的な基本デザインに、麒麟と獅子の青銅像や一里塚を表す松や榎木を取り入れた柱模様など、日本的なモチーフを加えた和洋折衷の装飾になっている。麒麟像には日本の道路の起点となる日本橋から飛び立つというイメージから翼が付けられ、奈良県手向山八幡宮の狛犬やヨーロッパのライオン像などを参考にした獅子像は東京市の紋章を手にしている。
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