1946年5月7日後のSONY 東京通信工業が設立。1958年1月1日にソニーに改称。
ソニーは1946年(昭和21年)5月7日、資本金19万円従業員数約20名の小さな会社「東京通信工業」(現ソニーの前身)としてスタートしました。創業者のひとり井深大は、会社設立の目的を「技術者がその技能を最大限に発揮することのできる“自由闊達にして愉快なる理想工場”を建設し、技術を通じて日本の文化に貢献すること」と、記しています。そして、「人のやらないことをやる」というチャレンジ精神のもと、数々の日本初、世界初の商品を打ちだしてまいりました。
SONY
1946年(昭和21年)、井深大と盛田昭夫により東京通信工業株式会社(とうきょうつうしんこうぎょう、略、東通工〈とうつうこう〉として創業。東通工の設立趣意書には
「 | 真面目ナル技術者ノ技能ヲ最高度ニ発揮セシムベキ自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設 | 」 |
と記されている。創業当初は真空管電圧計の製造、販売を行っていた。
1950年(昭和25年)には日本初のテープレコーダー(当時はテープコーダーと呼称)を開発。オランダのフィリップス社のような大会社を目指して輸出に注力する方針を立てた東通工は、トランジスタの自社生産に乗り出し、1955年(昭和30年)、日本初のトランジスタラジオ「TR-55」を発売した。また、製品すべてに「SONY」のマークを入れることにした。「SONY」以外に考えられたブランド名には、東京通信工業の頭文字である「TTK」や、略称である東通工のローマ字表記「Totsuko」、また東京通信工業を英訳した「Tokyo Teletec」などがある。しかし、「TTK」は東京急行電鉄が英語略称として用いており、「Totsuko」は英語話者にとって発音が難しい事から、候補から外れた。「Teletec」については、同じ名のブランドを持つ企業がアメリカにあることが分かり、断念した。1957年(昭和32年)のトランジスタラジオ「TR-63」は輸出機として大成功をおさめ、1958年(昭和33年)1月に東京通信工業株式会社からソニー株式会社に改称。改称に当たっては、主要取引銀行である三井銀行から、すでに東京通信工業が、日本国内で知名度を得ていることや、ソニー単独では何の会社か分からない事から、反対の意見が出た。銀行は、「Sony」にどういった会社なのかを示すために「Sony Electronic Industries」や「Sony Teletech」などの社名を提案した。また社内でも、東京通信工業という社名に愛着を持っている一部の社員たちは、社名変更に反対した。しかし、盛田たちは「Tokyo Tsushin Kogyo」では世界的な認知度を得ることは難しいと考えており、また社名に「Electronic」などの電機関係の言葉をつけることについても「ソニーが将来、エレクトロニクスの会社であるとは限らない」という趣旨を伝え、「ソニー」の社名を押し切った。同年、東京証券取引所市場第一部に上場を果たした。
ソニー TR-61 東京通信工業 radio transhistor
【It’s a Sony展1】Sony’s HIstory 1940-50年代 東京通信工業時代