1989年(平成元年)に日本洋傘振興協議会(JUPA)が制定。
日付はこの日が暦の上で「梅雨入り」を意味する雑節の一つ「入梅」になることが多いことから。この季節の必需品である傘の販売促進と傘の使い方などモラルの向上が目的。
洋傘の歴史について
江戸時代後期の1804年(文化元年)、長崎に入港した中国(清)からの唐船の舶載品目の中に「黄どんす傘一本」との記述が見られる。これ以前にも、安土桃山時代に堺の商人が豊臣秀吉に傘を献上した記録など、洋傘が海外から日本に持ち込まれた形跡はあるが、江戸時代の「黄どんす傘」が洋傘として特定できる最古の記録とされている。
ちなみに、どんす(緞子)とは、室町時代に中国(明)から伝えられたとされる絹の紋織物で、地は繻子(しゅす)織(サテン)で、地と表裏が反対になった繻子織の裏組織で模様を織り出したもの。光沢があり高級織物の代名詞とされる。厚地のものは礼装用の帯地、薄地のものは布団や座布団の生地として使われる。
明治時代、洋傘の輸入本数は多くなり、文明開化の波とともに洋傘は一気に市民の手に渡っていった。1868年(明治元年)に刊行された「武江年表」という書物に、「この年から庶民にも洋傘が普及し始めた」との記述がされている。