宇宙航空研究開発機構(JAXA)の施設がある4市2町(秋田県能代市・岩手県大船渡市・神奈川県相模原市・長野県佐久市・北海道大樹町・鹿児島県肝付町)で組織する「銀河連邦」(本部:神奈川県相模原市)が制定。
2010年(平成22年)のこの日、小惑星探査機「はやぶさ」(MUSES-C)は宇宙空間60億キロ、7年間の歳月をかけたミッションを成し遂げ、地球に奇跡的な帰還を果たした。世界初のサンプルリターンやイオンエンジンの長時間運行をはじめとする数々の科学的偉業を成し遂げた。
記念日は2012年(平成24年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。「はやぶさ」の開発・運用に関わった人々の「あきらめない心」「努力する心」を全国の人々に伝え続けていくことを目的としている。
はやぶさストーリー
はやぶさは2003年5月に内之浦宇宙空間観測所よりM-Vロケット5号機で打ち上げられ、太陽周回軌道(他の惑星と同様に太陽を公転する軌道)に投入された。その後、搭載する電気推進(イオンエンジン)で加速し、2004年5月にイオンエンジンを併用した地球スイングバイを行って、2005年9月には小惑星「イトカワ」とランデブーした。約5か月の小惑星付近滞在中、カメラやレーダーなどによる科学観測を行った。次に探査機本体が自律制御により降下・接地して、小惑星表面の試験片を採集することになっていた。その後、地球への帰還軌道に乗り、2007年夏に試料カプセルの大気圏再突入操作を行ってパラシュートで降下させる計画であったが、降下・接地時の問題に起因する不具合から2005年12月に重大なトラブルが生じたことにより、帰還は2010年に延期された。 2010年6月13日、サンプル容器が収められていたカプセルは、はやぶさから切り離されて、パラシュートによって南オーストラリアのウーメラ砂漠に着陸し、翌14日16時8分に回収された。はやぶさの本体は大気中で燃えて失われた。 カプセルは18日に日本に到着し、内容物の調査が進められ、11月16日にカプセル内から回収された岩石質微粒子の大半がイトカワのものと判断したと発表された。
はやぶさの地球帰還とカプセルの大気圏再突入、カプセルの一般公開、その後の採取物の解析などは日本を中心に社会的な関心を集めた。はやぶさがミッションを終えてからもブームはしばらく続いた。
イトカワ探査の終了後、JAXAでは「はやぶさ2」をミッションとして立案していたが、2011年5月12日、JAXAは「はやぶさ2」を2014年に打ち上げる予定であると発表した。
「はやぶさ」名前の由来
ISASでは探査機の名前は、関係者同士の協議によって命名されてきた。MUSES-Cの場合、「はやぶさ」の他にも「ATOM」(Asteroid Take-Out Mission、アトム)という有力候補が存在した。 この名は的川泰宣を中心に組織票が投じられていた案であった。一方「はやぶさ」は上杉邦憲と川口淳一郎によって提案され、小惑星のサンプル採取が1秒ほどの着地と離陸の間に行われる様子をハヤブサに見立てた案であった。他にも「はやぶさ」の名には、かつて東京から西鹿児島を走った『特急はやぶさ』や、鹿児島県の地名でもある『隼人』の面もあった。協議の際に的川は「最近の科学衛星は『はるか』とかおとなしい感じの名前や、3文字の名前が多いので、濁点も入った勇壮な『はやぶさ』もいいね」と語り、また「ATOM」は語意の原子から原子爆弾が連想されるとして却下され、結局「はやぶさ」が採用された。 小惑星の名前が「イトカワ」であることから「戦闘機と宇宙機の両方分野で著名な糸川英夫氏に縁の深い、戦闘機『隼』にちなんで命名された」と言われることもあったが、本探査機の打上げ日に初めて「はやぶさ」という正式名称が発表され、それから3か月後にその目標である小惑星1998 SF36が「イトカワ」と命名されたので、誤解であると川口は説明している。
大気圏再突入
6月13日22時51分頃惑星間軌道から直接12km/sの相対軌道速度で、はやぶさ本体およびカプセルは大気圏再突入した。流星のように輝きながら無数の破片に分解し、燃え尽きていくはやぶさ本体と、一筋の光の尾を曳いて飛び続ける再突入カプセルは、南オーストラリア州においては数十秒間にわたり地上から肉眼でも観測され、満月の倍の明るさに相当するマイナス13等級の輝きを発し、人の影が地面に映るほどの明るさとなった。 事前の予想では、大気圏再突入時の光跡は最大でマイナス5等級程度と報道されていたが、後の記者会見では、この予想ははやぶさ本体を含まない、再突入カプセル単体の明るさを指した予想であったと訂正された。
22時56分、カプセルからの電波信号(ビーコン)が受信され、パラシュートが開いたことが確認された。カプセルは23時8分頃に着陸したと推定される。着陸予想地点の周囲に展開した方向探測班がビーコンの方向から落下位置を推定し、発熱による赤外線を頼りにヘリコプターによる捜索が行われ、13日23時56分、再突入直前の予想地点から1 kmほどのウーメラの北西約200 kmで目視により発見された]。
現地の砂漠一帯は先住民アボリジニーの聖地でもあるため、14日午前にアボリジニーの代表がヘリで現場を視察し、了解を得た後、宇宙機構のチームがカプセル回収に向かった。カプセルに付いている火薬などの危険物が安全な状態かどうかを調べた後、カプセル回収作業を開始し、約4時間後に回収を完了し、専用のコンテナで現地の拠点施設まで移送された。また、探索されていたヒートシールドも14日14時頃に発見され、翌日に回収された。
なおこれ以前にも日本の宇宙機が自力で大気圏再突入に耐えた例はいくつかあるが、回収まで予定通りに成功したのは2003年に回収されたUSERS回収カプセル以来7年ぶり2度目。旧ISASが打ち上げた衛星・探査機としては初の回収成功となった(失敗後に偶然回収されたEXPRESSを除く)。大気圏再突入時の最大減速率は50G程度で、再突入から約150秒後には秒速数十メートルまでの減速が行われた。
NASAはJAXAなどと共同で、観測用航空機「DC-8」から19台のカメラで「はやぶさ」の大気圏再突入を撮影した。