1905年(明治38年)の6月30日、アルベルト・アインシュタインが相対性理論に関する最初の論文「運動する物体の電気力学について」をドイツの物理雑誌『アナーレン・デル・フィジーク』に提出した。
アインシュタインの幼い頃のあだ名は「のろま」。勉強嫌いだった彼は、少年時代は落ちこぼれで、中学時代の教師から「ろくなものにならない」とまで言われ、大学受験に失敗した経験を持つ。また、論文を提出した当時はスイス連邦特許局の無名の技師だった。そんな彼が20世紀最大の天才、偉大な理論物理学者となった。
アルベルト・アインシュタイン
アルベルト・アインシュタイン(独: Albert Einstein、1879年3月14日 – 1955年4月18日)は、ドイツ生まれの理論物理学者である。
特殊相対性理論および一般相対性理論、相対性宇宙論、ブラウン運動の起源を説明する揺動散逸定理、光量子仮説による光の粒子と波動の二重性、アインシュタインの固体比熱理論、零点エネルギー、半古典型のシュレディンガー方程式、ボーズ=アインシュタイン凝縮などを提唱した業績で知られる。
それまでの物理学の認識を根本から変え、「20世紀最高の物理学者」とも評される。特殊相対性理論、一般相対性理論が有名だが、光量子仮説に基づく光電効果の理論的解明によって1921年のノーベル物理学賞を受賞。
業績
1905年に特殊相対性理論を発表。「20世紀における物理学史上の2大革命」としては量子力学および相対性理論が挙げられるが、以前から論理的に展開されていた相対性原理(アンリ・ポアンカレ、ジョゼフ・ラーモア、ヘンドリック・ローレンツなどによるもの)を明確化および採用し、ニュートン力学とマクスウェルの方程式に基づく当時の古典論的物理学の体系に対し、相対性原理に基づく時空概念の修正を前者へ施すことにより、(重力場を除いて)両者は理論的に統合され、古典論的物理学体系の完成に成功した。特殊相対性理論では、「質量、長さ、同時性といった概念は、観測者のいる慣性系によって異なる相対的なもの」であり、「唯一不変なものは光速度 c のみである」とした。
1905年発表の特殊相対性理論は、重力場のない状態での慣性系のみを取り扱った(限定的な)理論であるが、1915年-1916年には、加速度運動と重力を取り込んだ(より適用範囲を広げた)一般相対性理論を発表した。一般相対性理論では、重力場による時空の歪みをリーマン幾何学を用いて記述している。さらに後半生の30年近くを重力と電磁気力を統合する統一場理論を構築しようと心血を注いだが、死により未完に終わった。
一般相対性理論を素直にそのまま認めると、「宇宙は膨張または収縮をしている」ということが素朴に演繹されうる。だがアインシュタインは、宇宙が膨張や収縮しているとは考えたくなかったため、重力による影響を相殺するような宇宙項Λ(ラムダ)を≪場の方程式≫に組み入れることで、理論上静的な宇宙でも存在可能であるとする理論を作った。しかしその後、エドウィン・ハッブルらの天文台での実際の観測によって、実際は宇宙は膨張している、ということが観測的に確認されたため、アインシュタインは自身がかつて提案した「宇宙項」を撤回せざるを得なくなった(のちに彼は、宇宙項の導入は「生涯最大の失敗」と述べることになった)。なおアインシュタインが死去してからかなり月日が流れ、21世紀になってからの宇宙望遠鏡による超新星の赤方偏移の観測結果(つまり、この10年ほどの観測データ)の分析によって、「宇宙は膨張している」と言っても、単に一定の速度で膨張しているのではなく、その膨張する速度が次第に大きくなってきている(加速している)ということが明らかになってきており、この「加速」を説明するには、「宇宙項をむしろ導入するほうが妥当だ」「アインシュタインは実は宇宙項を撤回する必要はなかったのではないか」とする指摘や学説が存在する(詳細はダークエネルギーを参照)。
光量子仮説によって光電効果について理論的な説明づけを行うなど、初期量子論の確立に多大な貢献をした。しかし、「量子は確率論的に振舞う」とする量子力学自体については、アインシュタインは、「神はサイコロを振らない」と懐疑的な立場をとった。局所実在論を支持していたアインシュタインは量子力学の矛盾点の一つとしてアインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックスを提示したが、のちにベルの不等式の破れが実証されると局所実在論は破綻し、EPR相関として知られるようになった。
そのほか、ブラウン運動を説明する理論の構築、固体における比熱の理論である「アインシュタインモデル」の提唱、ボース=アインシュタイン凝縮の予言など、物理学の全領域にわたり多大な業績を残した。
アインシュタインの脳
アインシュタインの遺体は焼却され灰は近くのデラウェア川に流された。しかしアインシュタインの遺体の検死を行った解剖学者トマス・シュトルツ・ハーヴェイは遺族の承諾を得ずに、脳だけを自宅に持ち帰り、40年間も手元に置いていた。スライスした切片を求めに応じて知人に配布し、その後世界各地の博物館・科学館でアインシュタインの脳の切片の展示が行われるようになった。晩年、彼は脳の残りをアインシュタインの孫娘に返却している。
アインシュタイン研究者で近畿大学の杉元賢治は彼の脳の一部を入手しており、その過程はBBCのドキュメンタリー番組『アインシュタインの脳』で見ることができる。
2018年にはNHKが、散逸した脳を所在を調査したドキュメンタリーを制作している。
アインシュタインの成り立ちと相対性理論とは?