1963(昭和38)年6月5日、北アルプスの立山連峰と後立山連峰にはさまれた黒部渓谷に黒部ダムが完成しました。戦後の高度経済成長期に問題となっていた近畿地方への電力供給を主目的に、着工:約7年、作業員:延べ1,000万人以上、総工費:約513億円(現在換算:約2,240億円相当)を経て建設された水力発電ダムは、2,500〜3,000m級の山間地域への作業資材の運搬
- 断崖絶壁の立地
- 大量の雪解け水
- 地層変化による岩盤などの落石
などなど、多くの苦難を乗り越えて造られたものとなりました。
また、ダム自体の
- 水圧対策
- 発電方法
- 建設技術
などは、その難易度から日本のみならず海外からも多くの注目を当時から集めています。
今日では黒部ダムの放水模様だけでなく、黒部ダム一帯の
- ロープウェイ
- トラムウェイ
- 黒部湖クルーズ遊覧
- 黒部ダムカレー
なども人気の一大観光スポットとなっています。
黒部ダム
黒部ダム(くろべダム)は、富山県東部の立山町を流れる黒部川水系の黒部川に建設された水力発電専用のダムである。1956年(昭和31年)着工、太田垣士郎指揮のもと、171人の殉職者と7年の歳月をかけて、1963年(昭和38年)に完成した。
日本を代表するダムのひとつであり、富山県東部の長野県境近くの黒部川上流に関西電力が建設したアーチ式コンクリートダム。水力発電専用ダムで貯水量2億立方メートル(東京ドーム160杯分)、高さ(堤高)186メートル、幅(堤頂長)492メートルである。日本でもっとも堤高の高いダムで、富山県でもっとも高い構築物でもある。黒部ダム完成により、総貯水量2億トンの北陸地方屈指の人造湖「黒部湖(くろべこ)」(ダム湖百選)が形成された。
総工費は建設当時の費用で513億円。これは当時の関西電力資本金の5倍という金額である。作業員延べ人数は1,000万人、工事期間中の転落やトラック・トロッコなど労働災害による殉職者は171人にも及んだ(建設現場以外でも、宿舎(飯場)が雪崩の被害を受け87名死亡している)。
1956年(昭和31年)着工当時、「電力開発は1万kW生むごとに死者が1人でる」と言われていた。完成時、25万kWを生み出した黒部ダムの建設工事で171人の殉職者を出したことは、人が行くこと自体が当時命がけだった秘境の黒部峡谷でのダム建設の困難さを示している。また当時、黒部峡谷のダム建設現場では「黒部にケガはない」と言われていた。工事のミスは即、死を意味した。
前述のように「黒四ダム」の別称もあるが、関西電力は公式サイトなどでも「黒部ダム」としている。また、日本ダム協会によれば、「黒四ダム」の名は仮称として用いられ、後に正式名称が「黒部ダム」となった。完成時には「黒四ダム」と呼ばれることが多かったが、最近では一般に「黒部ダム」と呼ばれるようになっている。また、かつては図鑑などで「黒部第四ダム」と書かれていたこともある。
特徴
当初の計画では単純な円弧状のアーチダムであったが、1959年のマルパッセダム決壊事故を受け、両岸の基礎となる岩盤を調査したところ亀裂が見つかり、予想以上に脆いことが判明。設計変更を実施し、両側がウイング状に変更となった。ウイング部はアーチダムではなく重力式ダムである。またアーチ部を川下に向かって傾斜させることにより、水圧を両岸に逃がすのではなく、下向きの力へと変化させることでダム下部の岩盤に支えさせる構造となっている。
ダムから川へ放水する際には霧状にしている。これは放水の勢いで川底が削れてしまうのを防ぐためである。
ダム建設時、関西電力に勤務していた電力土木技術者・技術士である一方日本美術家連盟会員や一水会会友でもあった熊沢傳三は『景観デザインと色彩-ダム、橋、川、街路、水辺』(技報堂・平成14年)や『ダム・ハンドレールと景観』(雑誌『電力土木』(233)p97 – 101、1991年7月号)といった自著で、黒部ダムのダムの堤頂歩道の線形とハンドレールについて実際にデザインを任されたことを記述して残してある。事の経緯は堤頂歩道をどうするか、当時橋梁の手摺などの資料を中心に参考資料を収集していた上司から意見を求められ、自著に書いてある私見をいくつか述べると、早速その日の夕方から実際に設計を任されたというもので、6時間ほどかけてその特徴を加味してデザインを仕上げたとしている。
観光と登山
黒部ダムは世界的に見ても大規模なダムであり、周辺は中部山岳国立公園でもあることから、立山黒部アルペンルートのハイライトのひとつとして多くの観光客が訪れる。首都圏ならびに関西方面より黒部ダムを目的地とする場合、アルペンルートの中で乗り換えが4回必要(ケーブルカー→ハイブリッドバス→トロリーバス→ロープウェー→ケーブルカー)な富山県側よりも、乗り換えなし(電気バスのみ)の長野県側からアクセスした方が容易にたどりつける。
ダムの各観光施設は関電アメニックスくろよん観光事業部が運営している。6月下旬から10月中旬ごろまでダム湖の水を放流する「観光放水」が行われ、ダム展望台、放水観覧ステージ、新展望広場の各所から見学することができる。新展望広場特設会場内では石原裕次郎記念館から移設された映画「黒部の太陽」のトンネルセットのレプリカを展示しており、ダム建設に関する映像やパネルを見ることができる。
レストハウスのレストランではダム湖をモチーフにした名物の「黒部ダムカレー」を食べることができる。また、黒部ダム左岸側から上流側に数分歩いた地点には遊覧船ガルベの乗り場があり、黒部湖を乗船時間30分ほどで周遊することができる。遊覧船乗り場からさらに上流側には湖畔遊歩道が続き、山小屋のロッジくろよんで折り返して往復1時間ほどで散策できる(ロッジくろよんより先は要登山装備)。
登山客の間では、室堂駅に向かう立山黒部アルペンルートの中継地点という位置づけのほかに、アルペンルートを利用せずとも一ノ越を経由して立山に登れる直登ルート、上流側の黒部湖沿いを歩いて至る赤牛岳の読売新道方面ルート、下流側の下ノ廊下沿いを歩く日電歩道ルートの起点の観光地としても親しまれている。直登ルートの道中からは黒部湖を俯瞰することができ、黒部ダム左岸側から立山の雄山山頂までの所要時間は徒歩6時間45分。読売新道方面ルートは、ロッジくろよんのさらに上流側の平の小屋の渡し場から1日4 – 5往復の無料の渡し船で黒部湖を横断して、崖やはしごが連続する道を抜け、奥黒部ヒュッテとその先の赤牛岳に至る。所要時間は前者がダムから往復徒歩1泊、後者が往復徒歩2泊。
関西電力の素晴らしい動画があります。ぜひ、ご覧ください。
くろよんーその手に未来をー|関西電力