1962年(昭和37年)の7月11日、初の国産旅客機YS-11が完成した。
YS-11は日本航空機製造が製造した双発ターボプロップエンジン方式の旅客機で、第二次世界大戦後に初めて日本のメーカーが開発した旅客機であった。その後、長期にわたり運用されたが、2012年(平成24年)時点、日本において旅客機用途での運航は終了し、一部が自衛隊機として運用されている。
YS-11
日本航空機製造(NAMC)が近中距離用国産旅客機として開発・製造した双発式ターボプロップ旅客機/貨物機。第二次世界大戦後の初の国産旅客機として有名な機体である。
YS-11の正式な読みは「ワイエスいちいち」であり、一般的には「ワイエスじゅういち」や英語読みの「ワイエスイレブン」と呼ばれる。
ちなみにYSのYは「輸送機」、Sは「設計」の頭文字であり、11は「1番」という候補番号のエンジンを乗せた「1番目」に設計された機体という意味である。
そのため上記のような「ワイエスいちいち」という読み方となる。
ちなみにこれは零式艦上戦闘機の各形式の読み方と同じである。
時刻表ではYS1やYS、全日本空輸便はO(愛称のオリンピアの頭文字)と表記された。
国内においては、民間機として使用されていた機体は既に全機引退しているが、政府機関では航空自衛隊、海上自衛隊、海上保安庁、運輸省航空局(現:国土交通省航空局)で運用されており、航空局を除く他3つの機関では改修を重ねて未だに第一線で活躍している機体も存在する。
岐阜県各務原市のかかみがはら航空宇宙科学博物館には、元日本エアーニッポンで使用されたYS-11A-213(JA8731)が展示されており、機内も含めて見ることができる。
経歴
1954年に国内航空機計画が通商産業省(現:経済産業省)の監督下で開始され、その開発担当として日本航空機製造が1959年6月1日に設立。
設計にはかつて零式艦上戦闘機等を開発した設計士達が携わっている。製造請負は各部品メーカーが担当し、新三菱重工(現:三菱重工業)が最終組み立てを行った。
1962年に先行試作機を製造、同年8月30日に初飛行。
1965年3月30日に全日本空輸(ANA)にて運航を開始。
1974年に生産停止。
国内では2006年9月30日に民間機としての最終飛行を行い退役した。
国土交通省航空局の機体も2006年に退役。
海上保安庁の機体は2011年1月13日に退役した。
海上自衛隊の残りの機体も東日本大震災における任務で残り飛行時間をかなり消費したため、アメリカより中古で後継機C-130Rを導入し退役を前倒しする予定。
航空自衛隊の機体はYS-11EBの後継機搭載用のALR-Xの開発など始まっているものの、後継機が決まっていないと思われるものも多く、まだしばらく使用され続ける模様。
機体
機体の設計者たちは戦前に軍用機設計に携わってはいたが、旅客機の設計をしたことがない(それどころか乗ったこともない)者がほとんどであった。このため設計は軍用機の影響が強く、信頼性と耐久性に優れる反面、騒音と振動が大きく居住性が悪い、(後述する理由で)操縦者に対する負担が大きいという、民間旅客機でありながら軍用輸送機に近い性格の機体となってしまった。快適性・安全性・経済性が重視される民間機としては好ましくなく、運用開始した航空会社側からは、非常に扱いにくいという厳しい評価を受けた。
それでも日本の航空業界側は「日本の空は日本の翼で」という意識のもと、改修に改修を重ね、機体を実用水準に高めた。航空業界によって使える機体に育ったとも言える。やがて東亜国内航空では日本国外に輸出された機体を購入しなおすなど、YS-11に対する信頼性は大いに上がった。
機齢が50年を超えた機体も現れ始めたが、自衛隊では2020年現在も使用され続けている。航空大国アメリカでは「日本製の飛行機」、「ロールス・ロイス製エンジンを搭載した飛行機」、「ピードモント航空が使っていた飛行機」という形で知られている。
頑丈さと過大重量
YS-11の軍用機的性格が良い方に働いた例として、機体の頑丈さが挙げられる。航空先進国であった欧米では、民間輸送機開発に際してすでに耐用年数などを踏まえた合理的な機体設計を行うようになっていたが、YS-11は戦後日本で初の本格的旅客機であるため、安全率を過大なまでに確保していた。主翼については約19万飛行時間、胴体は約22万5千時間に相当する疲労強度試験を行っている。東京・調布市にある航空宇宙技術研究所(NAL, 現JAXA)では26か月にわたり大きな水槽の中に胴体を沈め、内圧の増減を繰り返す胴体強度試験を行った(コメット連続墜落事故の検証で使われたものと、ほぼ同じやり方である)が、9万時間までどこも損傷することはなかった(最終的に試験装置の方が損傷し、終了した)
しかしその頑丈さは重量増加という欠点にもなって跳ね返ってきた。近代旅客機の常道通りに総ジュラルミン製のモノコック構造であるが、強度重視で重量過大となり、出力の限られたエンジンに対しては重すぎる機体となった。元テストパイロットの沼口正彦は退役後のインタビューにおいて、「YS-11はパワー不足が目立った」とも語っている。YSの出力不足は、沼口に限らず多くのパイロットから指摘されている弱点である。全日空の機長としてYS-11に乗務したことがある内田幹樹はその著書『機長からアナウンス』で「最初はあまりのパワーのなさに驚いた」、「そのうえコクピットの居住環境も、寒すぎたり暑すぎたりとほんとうに最悪だった」、「飛行機マニアにいまでも人気が高いようだが、これはまったく理解できない」、「クラウンに軽自動車のエンジンを乗せたような飛行機」、「パイロット仲間でもYS-11に愛着のある人をほとんど知らない」と酷評している。また重量のためタイヤに負担がかかり頻繁に交換が必要だという。
操縦性
操舵系統には戦後主流になりつつあった油圧を使わず、操縦桿と動翼をケーブルにより直接つなげており、自動操縦装置もなく(後に一部機体にはオートパイロット装備)、ほとんどを人力で動かしているため、沼口正彦を始め多くのパイロットが「世界最大の人力飛行機」と評している。信頼性確保と軽量化を目的としての人力操舵採用であったが当然の結果として操縦に力を要し、通常は低速になると軽くなる動翼は常に重く、特にエルロンが最も重いという。また気流が乱れると自衛官ですら「腕がパンパンになる」と評するほど悪化し、展示飛行で急旋回する際には「ワイヤーが切れると思うほど」引く必要があるという。海上自衛隊ではオートパイロットが装備されていない機体で訓練を行う際、30分ごとに交代するなどの対策を行っていた。
離着陸に関してはパイロットから「上昇もしないんですけど、降りるのも降りてくれない」と評されており、主翼が長めであるため滑空性能が強すぎることが指摘されている。
このように特有の問題を抱えていたため、管制官も降下指示を早めに出したり急かさないなど配慮をしていたという。
仕様
乗員 | 2名 |
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定員 | 64名 |
全長 | 26.3 m |
全幅 | 32.0 m |
全高 | 8.98 m |
胴体直径 | 2.88 m |
主翼面積 | 94.8 m2 |
空虚重量 | 14,600 kg (A-100)、15,400 kg (A-500) |
最大離陸重量 | 23,500 kg (A-100)、24,500 kg (A-200)、25,000 kg (A-500) |
最高巡航速度 | 470 km/h |
航続距離 | 1,090 km、2,200 km (最大) |
メインエンジン | ロールス・ロイス・ダートMk.542 ターボプロップエンジン × 2基 |
最大出力 | 1,986~2,282kW (2,660~3,060 shp) |
YS-11 ~新しい日本の翼~