1880年(明治13年)の8月28日、東京・深川の三味線職人・松永定次郎が国産バイオリンの第1号を完成させた。
バイオリンについて
バイオリンまたはヴァイオリンは、弦楽器の一種で、ヴァイオリン属のヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバスの4種の楽器の中で最も小さく、最も高音域を出す楽器である。弦を弓や指などで振動させて音を出す、弦鳴楽器に属する。しばしば「Vn」「Vl」と略記される。
ヴァイオリンの起源は、中東を中心にイスラム圏で広く使用された擦弦楽器であるラバーブにあると考えられている。ラバーブは中世中期にヨーロッパに伝えられ、レベックと呼ばれるようになった。やがてレベックは立てて弾くタイプのものと抱えて弾くタイプのものに分かれ、立てて弾くタイプのものはヴィオラ・ダ・ガンバからヴィオール属に、抱えて弾くタイプのものはヴァイオリン属へと進化していった。そして、世にヴァイオリンが登場したのは16世紀初頭と考えられている。
日本におけるヴァイオリンは、ポルトガルのカトリック司祭ルイス・フロイスの『日本史』によると、16世紀中頃にはすでに擦弦楽器のヴィオラ・ダ・ブラッチョが日本に伝わっていた。当時ポルトガル人の修道士がミサでの演奏用として日本の子供に教えたことが記されている。
バイオリンの変遷
本体
ヴァイオリンの起源は、中東を中心にイスラム圏で広く使用された擦弦楽器であるラバーブにあると考えられている。ラバーブは中世中期にヨーロッパに伝えられ、レベックと呼ばれるようになった。やがてレベックは立てて弾くタイプのものと抱えて弾くタイプのものに分かれ、立てて弾くタイプのものはヴィオラ・ダ・ガンバからヴィオラ・ダ・ガンバ属に、抱えて弾くタイプのものはヴァイオリン属へと進化していった。
世にヴァイオリンが登場したのは16世紀初頭と考えられている。現存する最古の楽器は16世紀後半のものだが、それ以前にも北イタリアをはじめヨーロッパ各地の絵画や文献にヴァイオリンが描写されている。レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿にもヴァイオリンに似た楽器の設計図が見られる。現存楽器の最初期の制作者としてはブレシアのガスパーロ・ディ・ベルトロッティ(通称ガスパーロ・ダ・サロ)、クレモナのアンドレア・アマティ、ガスパール・ティーフェンブルッカーが有名である。
17世紀から18世紀にかけて、イタリア北部のクレモナにおいてニコロ・アマティ、ストラディバリ一族、グァルネリ一族など著名な制作者が続出した。特に卓越していたのがアントニオ・ストラディヴァリとバルトロメオ・ジュゼッペ・グァルネリ・デル・ジェスである。また、現在のオーストリアのインスブルック近郊のアブサムで活動したヤコブ・シュタイナーの作品も18世紀末までは最高級のヴァイオリンの一つとして取引された。ヤコブ・シュタイナー作のヴァイオリン
後に演奏される曲の音域が増加するのに伴い指板が延長されるようになり、音量の増強に対応するためネックが後ろに反り、駒がより高くなった。本体内部も、弦の張力の増大に対応すべく、バスバーを長さ、高さとも大型のものに交換、ネック取り付け部も強化されている。18世紀以前に作られた楽器も現状はそのように改造されているものが多い。古い様式のヴァイオリンは現在では「バロック・ヴァイオリン」といい、新しいヴァイオリンでもバロック仕様で作られたものはバロック・ヴァイオリンと呼ぶ。
これとは別に、特にイタリア製において、著名な制作者が作ったヴァイオリンを、制作時期によって「オールド(1700年代後期まで)」「モダン(1800年位から1950年位まで)」「コンテンポラリー(1950年位以降)」と分類して呼ぶこともある。
近年になって、音響を電気信号に変えるエレクトリック・アコースティック・ヴァイオリンや、弦の振動を直接電気信号に変えるエレクトリック・ヴァイオリンも登場している。
弓
当初は半円形であったが、徐々に変化していき、18世紀末に現在のような逆反りの形状になった。このスタイルを確立したのは、18世紀フランスのフランソワ・トゥルテ(トルテ、タートとも)であるといわれる。スティックの材料に初めてペルナンブコを使用したのもトゥルテであり、以後スティックの材料はペルナンブコをもって最上のものとするようになった。トゥルテは宝石・時計職人でもあったことから、その加工技術を弓作りに応用し、螺鈿細工などの美しい装飾を施した。トゥルテや一時代下ったドミニク・ペカットらの作品は、オールドフレンチボウとして今なお高い評価を受けている。
バイオリン音楽の形成
登場以来ヴァイオリンは、舞踏の伴奏など庶民には早くから親しまれていたが、芸術音楽においてはリュートやヴィオラ・ダ・ガンバに比べて華美な音質が敬遠され、当初はあまり使用されなかった。しかし、制作技術の発達や音楽の嗜好の変化によって次第に合奏に用いられるようになる。
17世紀には教会ソナタや室内ソナタの演奏に使われた。ソナタはマリーニやヴィターリ等の手によって発展し、コレッリのソナタ集(1700年、「ラ・フォリア」もその一部)がその集大成となった。
少し遅れて、コレッリ等によって優れた合奏協奏曲が生み出されたが、トレッリの合奏協奏曲集(1709年)で独奏協奏曲の方向性が示され、ヴィヴァルディによる「調和の霊感」(1712年)等の作品群で一形式を作り上げた。ヴィヴァルディの手法はJ.S.バッハ、ヘンデル、テレマン等にも影響を与えた。一方で協奏曲が持つ演奏家兼作曲家による名人芸の追求としての性格はロカテッリ、タルティーニ、プニャーニ等によって受け継がれ、技巧色を強めていった。また、ルクレールはこれらの流れとフランス宮廷音楽を融合させ、フランス音楽の基礎を築いた。
18世紀後半にはマンハイム楽派が多くの合奏曲を生み出す中でヴァイオリンを中心としたオーケストラ作りを行った。そしてハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト等のウィーン古典派によって、室内楽・管弦楽におけるヴァイオリンの位置は決定的なものとなった。また、トゥルテによる弓の改良は、より多彩な表現を可能にし、ヴィオッティとその弟子クロイツェル、バイヨ、ロードによって近代奏法が確立されていった。
19世紀になると、現在でも技巧的な面では非常に難しいとされるパガニーニによる作品の登場によって、名人芸的技巧(ヴィルトゥオーソ)がヴァイオリン曲の中心的要素とされ、高度な演奏技術を見せつける曲が多く作られた。
19世紀中頃からは、演奏家と作曲家の分離の傾向が強く見られるようになった。当時の名演奏家に曲が捧げられたり、あるいは協力して作曲したりすることが多く、例えばメンデルスゾーンはダーフィト、ブラームスはヨアヒムといった演奏家の助言を得て協奏曲を作っている。また、チャイコフスキーやドヴォルザーク、グリーグ等によって民族的要素と技巧的要素の結合が図られ、シベリウス、ハチャトゥリアン、カバレフスキー等に引き継がれている。
ヴァイオリンは各地の民族音楽にも使われており、特に東ヨーロッパ、アイルランド、アメリカ合衆国のものが有名である。
バイオリンの調べを楽しむ
チャイコフスキー&メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲:庄司紗矢香
庄司紗矢香:チャイコフスキーヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品35