日付は「や(8)きに(2)く(9)」(焼き肉)と読む語呂合わせから。夏バテ気味の人に焼き肉を食べてスタミナを付けてもらうことが目的。この日を中心に、地域社会への貢献と販売促進を目的とし、全国各地の加盟店が社会福祉施設などをお店に招待したり、出張バーベキューなどを行っている。7月20日頃の「土用の丑の日」、7月23日の「天ぷらの日」とともに食べ物の「夏バテ防止の三大記念日」ともいわれている。
焼き肉について
焼き肉(焼肉)とは、牛・豚などの肉を焼いたもの。また、肉や内臓にタレをつけ、直火で焼きながら食べる特定の東洋料理を指す場合もある。
焼いた肉料理を指す「焼肉」という語の使用は古く、例えば仮名垣魯文の『西洋料理通』(1872年〈明治5年〉)にはバーベキューの訳語として使用されている。同年出版の『西洋料理指南』においても、獣肉を焼いた料理の意味で使用されている。また、張赫宙の『権といふ男』(1933年〈昭和8年〉)という小説では朝鮮料理の焼肉が登場している。近年では水木しげるの漫画『墓場の鬼太郎』に鶏の丸焼きを指して「焼き肉」と呼ぶ台詞がある。
東洋料理を指す「焼肉」は現在広く使用されており、調理器具として主に鉄板や焼網を用いたものをいう。一般的に「焼肉店」と称するレストランはこの料理を提供している。総務省統計では「焼肉店」を東洋料理のものと限定しており、ステーキ店などの西洋料理は含まない。
焼肉は単純に肉を焼くという形式であっても、味付けや調理方法の違いによって世界で様々な料理が見られる。東洋料理の「焼肉」の他、ローストビーフやローストポーク、焼き鳥、ステーキ、ジンギスカン鍋、バーベキューなどが挙げられる。
日本の焼肉文化
佐々木道雄は、明治以前から日本人は山間部を中心に鳥や猪などの肉を直火で焼いて食べていたこと、戦前から牛や豚の内臓を使ったモツ煮込みや、串に刺して焼いて食べるモツ焼きがあったことを指摘している。一方で現代の日本における「焼肉料理」「焼肉料理店」は朝鮮と密接に関連していると述べている。1930年代中頃、朝鮮南部から大阪の猪飼野に移住した朝鮮人によってカルビ焼きとプルコギが伝わり、これらが当時、既に存在していた朝鮮食堂に取り込まれて焼肉食堂に変容する。そして、プルコギとカルビ焼きは当時流行していたジンギスカンの影響により、「客自ら焼いて食べる」形式を得る。佐々木によればこれが「焼肉」の誕生であり、この焼肉を在日韓国・朝鮮人らが、日本の料理文化に適応させながら発展させたという。 また佐々木は、焼肉の誕生に直接関与したのは朝鮮人で、満州や朝鮮に広めたのも朝鮮人であり、従って「焼肉は日本で誕生した」というよりは「日本の大陸進出時に大阪・猪飼野に移り住んだ朝鮮人が生み出した」とする方が実態を表していると述べている。
佐々木によれば、現代日本の焼肉料理、焼肉店の精肉の“焼肉”も内臓の“焼肉”も発祥は朝鮮半島にあり、1940年前頃に日本に伝えられ戦争中に一時的に途絶えるが、戦後、精肉の焼肉は朝鮮料理店で、内臓の焼肉は朝鮮系の飯屋や飲み屋によって再開された。その後両者が互いの焼肉を取り入れることで、今日における焼肉店の原型ができ、“焼肉”が隆盛を迎えると、朝鮮系の冷麺店、飯屋、飲み屋も焼肉店に商売替えしたという。
その他、『別冊BUBKA』2006年(平成18年)7月号33ページでは、「焼肉」の起源は日本であるが、日本発祥といえども始めたのは朝鮮人であるという説が掲載された。戦前に捨てるか肥料にするかしていた臓物肉を朝鮮人女工がもらってきて焼いて食べたのがホルモン焼きの始まりであり、ホルモンを焼いて食べる習慣は朝鮮にはなく、ホルモン焼きは日本で始まった。そして戦後、ホルモン焼きの屋台が「ホルモン屋」や「朝鮮料理屋」という名称になって行く中、新宿にミノやセンマイといったホルモンだけでなくロースやカルビなどの精肉を用いる店が出来る。この在日朝鮮人女性が経営する明月館が焼肉の祖であるとするのが同誌の主張である。
また同誌は、「焼肉」と呼称するようになったのは1965年(昭和40年)に日韓基本条約が結ばれて以降、韓国籍を取得する者が増え、在日朝鮮人の主張した朝鮮料理屋と在日韓国人の主張した韓国料理屋との呼称論争を収拾する案としてプルコギを直訳した「焼肉」が用いられることとなったのだとの説を主張している。
ちなみにホルモン料理は大阪西心斎橋の「北極星」北橋茂男により提供され、昭和15年に商標登録されている。また、明治時代における朝鮮料理店は、東京などに高級店として数店が営業している程度であり、提供する料理は韓定食などの正統派宮廷料理であり現代のいわゆる焼肉料理店のようなものではなかった。
「焼肉店」は、既に1960年代に大都市圏に存在していたが、1970年(昭和45年)以降は次第に日本各地へ広まるようになった。1968年(昭和43年)にはエバラ焼肉のタレが発売された。2004年(平成16年)の統計では20997件である。
牛肉消費形態については、1960年代なかばから、伝統的な形態以外の調理法による各種の牛肉料理が急速に広まり、その主要なものは「濃いタレ」をつけて焼く「焼肉」、ハンバーグなど各種挽き肉料理、カレー・シチューなど煮込み料理であり、その背景には1960年代以降のグラスフェッド(草牧肥育)ビーフの輸入の増加や乳用種去勢牛の若齢肥育の本格化などによる肉質多様化をともなった牛肉消費の増大があった。日本の牛肉輸入自由化は1991年(平成3年)4月である。
日本一の焼肉 スタミナ苑 Sutaminaen [東京] Yakiniku [4K]