1903(明治36)年8月22日、東京電車鉄道の路面電車が新橋~品川間で営業を開始し、都内で…初めて路面電車が走ったことにちなんで制定された記念日。
日本初の路面電車の走行は、1890(明治23)年5月4日に上野公園で開催されていた「内国勧業博覧会」の会場内興行の時とされております。
また、一般の道路・・・・・を走った日本初の路面電車は、1895(明治28)年2月1日に開業した、
京都電気鉄道の小路東洞院~伏見京橋間
でした。
路面電車は、安全面の配慮から周囲に路面電車の走行を知らせるため、
「チンチン」とベルを鳴らしながら運行していたことから、
チンチン電車
の愛称で親しまれておりました。
ちなみに、【ろ(6)でん(10)】の語呂合わせから、6月10日は路面電車の日
として記念日のひとつに制定されております。
「チンチン電車」という通称
これには2つの説があり、1つは、通行人への警報のために、運転士が足で床下の鐘(フートゴング)を鳴らす音から来ており、もう1つは、車掌が運転士にあるいは運転士が車掌に合図を送るために鳴らしていた鐘(ベル)の音に由来する。鐘の音は以下のような意味で使用されていた。
- 走行中電車が停留場に近づいたとき「チン」と1回鳴らせば「降客があるため停車せよ」または「停車する」
- 「チンチン」と2回鳴らせば「降客がないので通過しても良いか」または「良い」
- さらに停車中に「チンチン」と2回鳴らした場合は「乗降がすんだので発車しても良いか」または「良い」
- 「チンチンチンチン」と3回以上の連打は「直ちに停車せよ」または「停車する(非常停車)」
現在でも都電荒川線や阪堺電気軌道の全車両(阪堺電気軌道はフートゴングのみで、701形と1001形「堺トラム」には装備されていない。)で発車時に聞くことができる。ただし現在は全列車がワンマン運転のため、上記で述べた車掌・運転士同士の連絡には用いられず、乗客に対する発車合図という位置付けである。また、函館市企業局交通部で夏季に限って運行されている箱館ハイカラ號の他、とさでん交通の100形・590形・2000形以外の降車合図音で聞くことができ「維新号」でもこの鐘が信鈴として使用されていた。阪堺電気軌道のモ161形161号「昭和40年代復元車」にも、使用されてはいないが再現してある。
戦後は、改造によりベルを連続音の電鈴やブザーに交換した車両や、ブザーのみで新製された車両が現れたが、吹鳴回数や伝達内容はベル時代のそれを踏襲している。現在も広島電鉄では、車体の長い連接車のツーマンで運行されるため、車掌と運転士の合図にブザーが使われている。2回続けて鳴らす発車合図という点では変わらないが、ブザーのため「ギッ、ギッ」という音である。
地域によっては音の違いから「カンカン電車」という呼び名もあった。
都電
東京都電車(とうきょうとでんしゃ)は、東京都地方公営企業の設置等に関する条例及び東京都電車条例に基き東京都(交通局)が経営する路面電車である。通称都電(とでん)。2020年8月現在、荒川区の三ノ輪橋停留場と新宿区の早稲田停留場を結ぶ荒川線12.2kmの1路線のみが運行されている。
前身は1882年に開業した東京馬車鉄道で、1903年から1904年にかけて同社が路線を電化して誕生した東京電車鉄道、新規開業の東京市街鉄道、東京電気鉄道の3社によって相次いで路面電車が建設された。その後3社は1909年に合併して東京鉄道となり、さらに1911年に当時の東京市が同社を買収して東京市電、1943年の東京都制施行によって都電となった。
最盛期(1955年頃)には営業キロ約213km、40の運転系統を擁し一日約175万人が利用する日本最大の路面電車であったが、モータリゼーションの進展や帝都高速度交通営団(営団地下鉄)、東京都交通局の都営地下鉄の発達によって採算性が悪化していった。1967年に東京都交通局が財政再建団体に指定されると再建策の一環として1972年までに廃止されることになったが、1974年に荒川線の恒久的な存続が決定し今日に至っている。
都電…懐かしの沿線風景
【昭和の電車】昭和39年 曲がり角にきた都電
第6回 都電の走行シーン満載!車窓に広がる昭和の東京 都電(昭和42年(1967年))