1984年(昭和59年)に東京乗用旅客自動車協会(現:東京ハイヤー・タクシー協会)が制定し、翌1985年から実施。
全国乗用自動車連合会(現:全国ハイヤー・タクシー連合会)が全国統一キャンペーンとして実施している。1912年(大正元年)のこの日、東京・有楽町の数寄屋橋にあったタクシー自動車株式会社が日本で初めてのタクシーの営業を開始した。日本初のタクシーはT型フォードであり、営業開始当初は6台のみの稼働で、金額は
最初の約1.5km = 60銭
と設定されておりました。これは電車や市電の約5〜8倍に相当するなど、相当高価な乗り物だったでした。また、
- 追加料金
:1/2マイルごとに10銭増 - 待ち料金
:10銭/5分 - 深夜、雨天、ぬかるみ時
:1/4マイルごとに10銭増し
と割りと細かく料金設定されておりました。が、正確なメーター器による料金算出と目新しさで話題を呼び、連日利用者は多く、また利用希望者が後を絶たない状況がしばらく続いたとの記録も残っております。
日本のタクシーの歴史
1912年(明治45年)7月10日、東京市麹町区有楽町(現東京都千代田区有楽町)にタクシー自働車株式会社が設立され、同年8月15日から本社前でT型フォードを6台使用して旅客営業を開始した。これが日本における、自動車を使用したタクシーの最初の営業であった。
このタクシーは料金メーターを搭載して「辻待ち自動車」と呼ばれており、上野駅と新橋駅を拠点に営業していた。料金は最初の1マイルが60銭、以後0.5マイル毎に10銭増しであり、人力車に倣って夜間・雨雪時の割増運賃も設定されていた。その後、1914年(大正3年)には東京駅が開業したことにより、同社によって東京駅でも営業が行われるようになった。その後タクシーは全国に普及するが、当初は料金体系がバラバラで苦情が多かったことから、1924年(大正13年)大阪市内を1円均一で走るタクシーが登場した。これを円タクという。円タクは、2年後、東京市にも登場した。実際には範囲内短距離であれば運転手と交渉し、80~90銭にまけさせた、という事もあったようである。
満州事変から第一次上海事変へと日中関係が混迷を深める中、石油会社が値上げを発表するなど、東京市内のタクシーは混乱を深めていき、1938年(昭和13年)には車両、部品、燃料など物資統制の重圧から、警視庁は全てのタクシー営業を法人格を持つ者に限ること(最低基準車両50両)とし、175社へ集約統合を行った。その後、メーター制も復活し、初乗り2キロ30銭、1キロごとに10銭という値段になった。
戦時体制が整うにつれ、1937年(昭和12年)には、石油資源の確保のため、タクシーの流し営業が禁じられ、戦後まで代替燃料として、木炭、亜炭等が使われるようになった。第二次世界大戦終戦後、東京都内で焼け残ったタクシーは、1,565台だけであった。
1950年代後半以降、モータリゼーションの発達により、大都市圏を中心に「神風タクシー」と呼ばれる粗暴運転、乗車拒否、不当運賃請求(雲助タクシー)などが問題となり、交通事故も多発し、白タクも横行した。それらを抑制する目的で個人タクシー制度が生まれ、1959年(昭和34年)に東京で初認可、翌1960年(昭和35年)には関西でも個人タクシーが認可されるようになると、法人タクシーと個人タクシーが競合するようになった。1970年(昭和45年)には、タクシー業務適正化臨時措置法が施行され、東京圏・大阪圏ではタクシー運転手を登録制とし、東京・大阪タクシー近代化センターが設置された。
懐かしい東京のまちの景色とタクシーvol.1