1958年(昭和33年)のこの日、世界初の即席ラーメンである「チキンラーメン」が日清食品株式会社より発売された。
同社の創業者・安藤百福(あんどう ももふく、1910~2007年)が麺を油で揚げる「瞬間油熱乾燥法」を思い付き、「美味しくて保存が利き、手間がかからず安くて安全」という5つの条件をクリアして、商品化することに成功した。うどん1玉6円だった当時1袋(85g)35円と高価だったが、熱湯をかけて3分後には食べられるという手軽さがうけて、爆発的なヒットとなった。安藤の誕生の地である大阪府池田市には「安藤百福発明記念館 大阪池田」(旧名称:「インスタントラーメン発明記念館」)がある。
チキンラーメンについて
日清チキンラーメンは、商業的に成功した即席麺の最初の事例である。袋麺は1958年(昭和33年)に、カップ麺は1991年(平成3年)に発売が開始された。チキンラーメンは、麵自体に味が付けられているため、粉末スープ袋などの別添がなく、生のまま食べることも可能である。
チキンラーメンは、安藤が池田市の自宅の敷地内に建てた研究小屋で試行錯誤した末に生まれた。ある日、妻が作っていた天ぷらを見た印象や食感をヒントに「油の熱で乾かす」ことを思い付いた。「安藤百福発明記念館 大阪池田」には、チキンラーメンを開発した作業小屋が復元・展示されている。
特徴
袋入りインスタントラーメンで、調理方法は丼(どんぶり)などの容器に入れてお湯をかけ、蓋をするか密閉するだけである。容器を別に用意する必要があるほかはカップ麺とほぼ同様の調理方法で、必ずしも鍋で煮る必要がない点が他の袋入りインスタントラーメンと大きく異なる(派生商品のカップ麺もある)。
もう一つの特徴は、麵自体につけられた味がお湯に溶けてスープの役割を果たすことである。そのため粉末スープ袋などの別添がなく、お湯をかけないまま食べることも可能である。
調理法
中央にやや大きめの凹み(卵ポケット)がついた味付け麺。湯を入れることで麺からスープがしみ出して湯がスープになる。具は入っておらず、他のインスタントラーメンにあるようなスープや具などの小袋類はない。
袋を開けて取り出した乾燥麺を丼などの食器に入れ、熱湯をかけて蓋をする。おおよそ3分間(発売当初は2分間とされた)待てば食べられる。熱湯を沸かした鍋で直接煮込めば1分強で食べられる。具材は入っていない。上の写真のように、くぼみを上にして麺をどんぶりに入れ、くぼみの上に生卵を乗せて湯をかけ、刻みネギを入れる調理例がパッケージに印刷されている。開発者の百福は「美味しく食べるコツは、ちゃんと蓋を閉めてきっちり3分待ち、よくかき混ぜてから食べること」と語っている。
調理しなくても、多少塩辛いがそのままかじったり、砕いて米飯に掛けたり、スープの具にしたりして食べることも可能。麺に含まれるデンプン質は加熱によってアルファ化(糊化)されているため消化吸収上は問題なく、非常食としても有用。
一方で様々な具や調味料を足したり、焼きそばやそばめしのように料理したりすることもできる。こうしたレシピは、チキンラーメンのブランドサイトや書籍『365日チキンラーメンの本』でも紹介されている。
安藤百福
安藤 百福(あんどう ももふく、1910年〈明治43年〉3月5日 – 2007年〈平成19年〉1月5日)は、日本の実業家。日清食品(株)創業者。インスタントラーメン「チキンラーメン」、カップ麺「カップヌードル」の開発者として知られる。
日本統治時代の台湾出身で、出生名は呉百福(ゴー・ペクホク)。台湾本島人のため戦後は中華民国籍となり、1966年(昭和41年)に再度日本国籍を再取得した。
1948年(昭和23年)に(株)中交総社(後の日清食品)を設立し、日清食品の代表取締役社長、代表取締役会長、創業者会長を歴任。(社)日本即席食品工業協会会長、(財)安藤スポーツ・食文化振興財団理事長、(財)漢方医薬研究振興財団会長、世界ラーメン協会会長、(財)いけだ市民文化振興財団会長などを務めた。池田市の名誉市民。位階・勲等は正四位勲二等。
1958年 CM 日清食品 チキンラーメン 初代CM
日清チキンラーメンCM総集編 新垣結衣(ガッキー)【全15種】