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1月3日今日は何の日?:アップルコンピュータが設立

投稿日:

ジョブズとウォズニアック
スティーブ・ジョブズ
スティーブ・ウォズニアック

以前よりアメリカ・カリフォルニアのコンピュータサークルで、自家製コンピュータの開発を行っていた

  • スティーブ・ジョブズ
  • スティーブ・ウォズニアック

の両氏が、既に市場に出ていたコンピュータ基盤をより安価で簡易に制作することに成功。

コンピュータ歴史博物館に展示されるApple I。

1976(昭和51)年には、2人が共同で作った初めての自作PC

Apple I

が徐々に市場でもヒットしていき、大量生産に踏み切ります。

そこで、個人投資家マイク・マークラ氏を引き入れ、

  • スティーブ・ジョブズ氏
  • スティーブ・ウォズニアック氏
  • マイク・マークラ氏

の3人で、1977(昭和52)年1月3日、パーソナルコンピュータ製造会社として

Apple Computer

を設立しました。

その後、紆余曲折はありながらも

  • Apple II
  • Macintosh
  • iMac
  • MacBook

などの製品を次々とヒットさせていきました。

また、

  • iPod
  • iPhone

といったPCだけに留まらない

Apple Inc.デジタル技術を駆使した進歩的な新商品を次々と発表し続ける大企業となっております。

 

創業とApple I

1975年、大学を中退しアタリの技術者として働いていたスティーブ・ジョブズと、その友人でヒューレット・パッカード (HP) に勤務していたスティーブ・ウォズニアックは、シリコンバレーのコンピュータマニアによる「ホームブリュー・コンピュータ・クラブ (HCC)」の会合に頻繁に参加していた。ウォズニアックは、当時HCCで高く評価されていたIntel 8080の代わりに、安価なMOS 6502を処理装置とするコンピュータの自作を開始し、1976年3月までにApple Iの原型となるマシンを独力で完成させた。ウォズニアック自身はマシンの回路図をHCCで無料配布することを望んでいたが、ジョブズはその商業的可能性に興味を抱き、このコンピュータを利用してビジネスを始めるべきだと訴えた。2人は当初、それぞれの勤務先であるHPとアタリにマシンの製品化を提案したが却下されたため、自ら起業してプリント配線板の製造・販売を行うことにした。

Apple Iの組み立てが行われたカリフォルニア州ロスアルトスのジョブズの実家

1976年4月1日、ジョブズとウォズニアックにロナルド・ウェインを加えた3人は、共同で「アップルコンピュータ・カンパニー (Apple Computer Company)」を創業した。アタリで製図工として働いていたウェインは、株式の10パーセントを持つことを条件としてジョブズに誘われ会社に加わった(ジョブズとウォズニアックはそれぞれ45パーセントの株式を所持した)。ウェインはアップル社の最初の製品であるApple Iのマニュアルを作成したほか、リンゴの木とアイザック・ニュートンが描かれた最初期のロゴマークをデザインした。1977年、スティーブ・ジョブズからの依頼により、ロブ・ジャノフが欠けたリンゴのロゴマークをデザインした。

個人以外の販路を求めたジョブズは、マウンテンビューのコンピュータ店「バイトショップ (Byte Shop)」の経営者ポール・テレルにApple Iを売り込んだ。強い興味を持ったテレルはすぐにApple Iを50台注文し、納品時に1台につき500ドル(合計2万5000ドル)を現金で支払うと約束したが、テレルが注文したのはApple Iのプリント配線板ではなく、パーツがすべて装着済みの完成品だった。手持ちの資金では必要な数の部品が購入できなかったため、ジョブズらは部品サプライヤーを説得して30日間の支払猶予つきでパーツを購入し、懸命な作業で29日後には50台のApple Iを完成させ、テレルの店に納品して約束の代金を受け取った。

Apple Iは1976年7月から希望小売価格666.66ドルで市販され、最終的に約200台が製造された。創業者の1人であったウェインは、ジョブズの野心的な経営方針に不安を抱いたため、800ドルを受け取って所有する株を放棄し、1976年4月12日にアップルを自主退社した。

 

Apple IIと事業拡大

バイトショップとの取引により約8,000ドルの利益を得たジョブズはさらなる事業拡大を望み、そのためには多額の融資が必要となった。ジョブズはアタリ時代の上司ノーラン・ブッシュネルの勧めにしたがい、セコイア・キャピタルのドン・バレンタインに会って融資を求めたが、バレンタインはアップルへの投資に興味を持たず、代わりに個人投資家として財を成していたマイク・マークラを紹介した。

若くして引退生活を送っていたマークラは、ジョブズの野心とウォズニアックの技術的才能に心を動かされ、1976年11月に引退から復帰してアップルに加わった。マークラは自分の個人的資産から9万2,000ドルをアップルに投資したほか、バンク・オブ・アメリカから25万ドルもの信用供与を確保した。投資の見返りとして、マークラはアップルの株式の3分の1を受け取った。

1977年1月3日、マークラの助けを得て新法人「アップルコンピュータ (Apple Computer, Inc.) 」が設立された。ジョブズらが約9カ月前に立ち上げたパートナーシップ(アップルコンピュータ・カンパニー)は新法人によって買収された。マークラは会社の成長には経験豊富な経営者が不可欠であると考え、ナショナル セミコンダクターからマイケル・スコットを引き抜き、アップルの初代社長兼CEOに任命した。ジョブズの当時の肩書きは、事業統括担当副社長(Vice President, Operations)であった。

スコットは1977年2月からアップルでの仕事を始め、アップルを組織的にするための施策として、新たに社員番号を入れた社員証を発行した。スコットはその功績を認めてウォズニアックに社員番号1を与えたが、ジョブズは「1」が自分に与えられなかったことに不満を感じ、再考するようスコットに抗議した。しかし、スコットも譲らなかったため、最終的にジョブズは社員番号0を与えてもらうことで妥協した。

Apple Iの後継機種である「Apple II」は、1977年4月16 – 17日に開催された第1回「ウェスト・コースト・コンピュータ・フェア」で初めて発表され、その後希望小売価格1,298ドルで発売された[76][77][注釈 4]。むき出しの基板(マザーボード)として販売されたApple Iとは大きく異なり、Apple IIは基板やキーボード、電源装置などが一体化された筐体であり、テレビ等の外部ディスプレイを接続すればすぐにコンピュータとして使用することができたほか、ディスプレイにカラー表示することが可能なのも大きな特長だった。

Apple IIは1980年には10万台、1984年には200万台を超える売り上げで、莫大な利益をアップルにもたらした。1980年12月12日、アップルは新規株式公開(IPO)を行い、自動車会社フォードが1956年に行ったIPO以来最高となる資金調達額を記録した。このIPOにより、750万株を持つジョブズは約2億5,600万ドルの個人資産を手に入れた。

 

 

Original »Apple 1 Computer«, 1976; 24 November 2012 – Auction

 

 

【衝撃】スティーブ・ジョブズの成功のルール5選

 

 

 

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