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10月7日今日は何の日?:ミステリー記念日

投稿日:

ポーのダゲレオタイプ(1848年)

1849年のこの日、ミステリー小説(推理小説)の先駆者であるアメリカの小説家エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809~1849年)が40歳で亡くなった。

世界初の推理小説は1841年に発表されたポーの短編小説

『モルグ街の殺人』

と言われている。そのほか科学的知見を取り入れた『アーサー・ゴードン・ピムの物語』などの冒険譚は、フランスの小説家で「SFの父」とも呼ばれるジュール・ヴェルヌ(Jules Verne、1828~1905年)ら後世のSF作家にも影響を与えている。

推理小説は、小説のジャンルの一つで、殺人・盗難・誘拐・詐欺など、なんらかの事件・犯罪の発生と、その合理的な解決へ向けての経過を描くもの。小説以外にも漫画や映画、ゲームなど様々なメディアに展開される「ミステリー」というジャンルの元になった。ミステリー(mystery)は、推理小説、神秘、不思議などを意味する英語である。

 

エドガー・アラン・ポー

エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809年1月19日 – 1849年10月7日)は、アメリカ合衆国の小説家、詩人、評論家。

マサチューセッツ州ボストンに生まれる。旅役者であった両親を早くに失い(父親は蒸発、母親は死亡)、名づけ親の商人アラン家に引き取られ、幼少期の一時期をロンドンで過ごした。帰国後17歳でヴァージニア大学に進む。学業成績は極めて優秀で、詩人としても認められるが、賭博、大酒で悪名を馳せる。養父アランと賭博の借金が原因で仲たがいになり退学。家を出て陸軍に入隊。いったん除隊して養父とのよりを戻し、こんどは士官学校に入学するもなじめず、規則違反行為で退学処分。その後、文筆で身をたてるべく詩や短編小説を創作し始める。(筆名には、養家名のアランをそのまま名乗ることはなく、ほとんどエドガー・A・ポー、あるいはエドガー・ポーとしている) ゴシック風の恐怖小説「アッシャー家の崩壊」「黒猫」、世界初の推理小説と言われる「モルグ街の殺人」、暗号小説の草分け「黄金虫」など多数の短編作品を発表、また1845年の詩「大鴉」でも評判を取った。また同時に有能な雑誌編集者であり、文芸批評家でもあったが、飲酒の悪癖などでトラブルを起こす癖はなおらず、いくつもの出版社を渡り歩いた。1833年、当時まだ13歳だった従妹ヴァージニア・クレムと結婚するが、1847年に貧苦の中で結核によって彼女を失い、その2年後にポー自身も謎めいた死を遂げた。

ポーはアメリカにおいて文筆だけで身を立てようとした最初の著名な作家であったが、文名を得てからもその生活はほぼ常に貧窮の中にあった。その作品は当初は本国よりもむしろヨーロッパで評価され、特にボードレールによるポーの翻訳はフランス象徴派の文学観形成に大きく寄与した。またポーが「モルグ街の殺人」で作り出したC・オーギュスト・デュパンの人物像は以後の推理小説における探偵の原型となっており、ポーは近代推理小説の開祖とみなされている。そのほか科学的知見を取り入れた『アーサー・ゴードン・ピムの物語』などの冒険譚はジュール・ヴェルヌら後世のSF作家にも影響を与えている。

 

モルグ街の殺人

「モルグ街の殺人」草稿

モルグ街の殺人」(モルグがいのさつじん、The Murders in the Rue Morgue)は、1841年に発表されたエドガー・アラン・ポーの短編推理小説。ポー自身が編集主筆を務めていた『グレアムズ・マガジン』4月号に掲載された。史上初の推理小説とされており、天才的な探偵と平凡な語り手、結末近くでの推理の披露、意外な犯人像など、以後連綿と続く推理小説のジャンルにおける原型を作り出した。密室殺人を扱った最初の推理小説とも言われている。

本作の素人探偵C・オーギュスト・デュパンは、半世紀後に出現するシャーロック・ホームズの原型となった探偵であり、デュパンが登場する続編として「マリー・ロジェの謎」(1842年-1843年)、「盗まれた手紙」(1845年)がある。

あらすじ

船乗りに殺害者のことについて聞きただすデュパン。バイアム・ショウによる挿絵、1909年

パリに長期滞在している、名前が登場しない語り手は、ある日モンマルトルの図書館で、没落した名家の出であるC・オーギュスト・デュパンという人物と知り合う。語り手は、幅広い読書範囲と卓抜な観察力、分析力を持つデュパンにほれ込み、やがてパリの場末の古びた家を借りて一緒に住むことになる。デュパンは、ある晩、街を歩いているとき、語り手が黙考していたことをズバリと言い当てて語り手を驚かせたが、その推理過程を聞くと非常に理にかなったものであった。

そんなとき、ある猟奇殺人の新聞記事が二人の目に止まる。「モルグ街」のアパートメントの4階で起こった事件で、二人暮らしの母娘が惨殺されたのだった。娘は首を絞められ暖炉の煙突に逆立ち状態で詰め込まれていた。母親は裏庭で見つかり、首をかき切られて胴から頭が取れかかっていた。部屋の中はひどく荒らされていたが、金品はそのまま。さらに奇妙なことに、部屋の出入り口には鍵がかかっており、裏の窓には釘が打ち付けられていて、人の出入りできるところがなかった。また多数の証言者が、事件のあった時刻に犯人と思しき二人の人物の声を聞いており、一方の声は「こら!」とフランス語であったが、もう一方の甲高い声については、ある者はスペイン語、ある者はイタリア語、ある者はフランス語だったと違う証言をする。船乗りに殺害者のことについて聞きただすデュパン。バイアム・ショウによる挿絵、1909年

この謎めいた事件に興味をそそられたデュパンは、伝手で犯行現場へ立ち入る許可をもらい、独自に調査を行う。語り手は新聞に発表された以上のことを見つけられなかったが、デュパンは現場やその周辺を精査に調べ、その帰りに新聞社に寄ったのち、警察の表面的な捜査方法を批判しながら、語り手に自分の分析精神を交えつつ推理過程を語りだす。玄関の鍵は完全、秘密の抜け穴もない。煙突は通れない。表の窓は人目につかず出入りするのは無理。ならば犯人が逃げたのは裏の窓しかない。あとはこの裏の窓から逃げたということを証明するだけなのだ。裏の窓は釘で固定されているように見えたが、案の定、釘は中で折れていて実は窓は開くのだった。そしてその窓からやや遠くには避雷針が通っている。ならば犯人はこの避雷針を伝って出入りしたのに間違いない。さて、こんな危ない経路を通った超人的身のこなしと、何語か分からぬ声と、金品の放置、意味不明に見える死体の残酷な扱いなどを考え合わせるとどうなるか?デュパンは現場に落ちていた毛を語り手に示し、犯人は人間でなくオランウータンだと結論づける。デュパンが先ほど新聞社に寄ったのはオランウータンを捕まえたが持ち主は名乗り出るようにとの新聞広告を出すためであった。そこに1人の船乗りが現われ、珍獣として一儲けしようとボルネオで捕獲したオランウータンが逃げ出して、犯行を行ったことを白状する。

文学史上の功績

分析や推理を主題とした小説はポー以前にも存在し、例えばE.T.A.ホフマンの『スキュデリ嬢』(1819年)はときにポー以前の推理小説と言われることがあるが、推理小説・探偵小説(ポー自身は「推理物語(The tales of ratiocination)」と呼んでいた)の原型となったのは、「モルグ街の殺人」及びそれに続くポーの作品である。その筆名をポーから借りている江戸川乱歩は、もしポーが探偵小説を発明していなければ「恐らくドイルは生まれなかったであろう。随ってチェスタトンもなく、その後の優れた作家たちも探偵小説を書かなかったか、あるいは書いたとしても、例えばディケンズなどの系統のまったく形の違ったものになっていたであろう」と述べている。

「モルグ街の殺人」は、名探偵の人物像を初めとして、その後の推理小説におけるセオリーにあふれている。まずポーの創造した「天才的な探偵」は、アーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズにそのまま踏襲されて以来、現在に至るまで受け継がれており、クロフツが地道な捜査を旨とする「平凡探偵」を打ち出して例外を作るまでには80年の時を要した。また名探偵の活躍を語る凡庸な人物というのも、シャーロック・ホームズに対するワトソンをはじめ、欠かせないものとなっている。名探偵の引き立て役として警察を愚鈍に描く、という約束事もこの作品にすでに現れている。そして「出発点の怪奇性」と「結末の意外性」という法則や、謎の解決のためのデータを真相開示までに読者に提示しておく「挑戦」の原則、密室を初めとする不可能犯罪とそれを可能とする「トリック」、推理を最終場面で一括して披露する形式、また作品全体に通底する衒学趣味など、いずれも「モルグ街の殺人」で描かれている。読者が「真犯人」を容疑者としてリストアップできないことや、「密室」の状況説明の不十分さなどが、現代の推理小説のルールからは外れているとの指摘もあるが、この作品を基に、ポーの死後、推理小説というジャンルが成立したのであるから、それは本末転倒の批判である。

「モルグ街の殺人」は発表当時、その新奇性から多くの賞賛を受けた。ペンシルベニアの『インクワイア』誌は当時「この作品はポー氏の才能を証し立てるものだ…その独創的な筆力と技術には並ぶところがない」と記している。しかし、ポー自身はフィリップ・ペンドルトン・クックへの書簡の中で、自分自身の達成を低く見積もっている。

これらの推理物語は、その人気の大半をそれが目新しい形式であるということに負っています。私はこれらに巧妙さがないと言いたいのではありません―しかし、読者はこれらの作品が実際にそうである以上に巧妙だと考えているのです―これらの作品の取っている手法と、その手法の見せかけのために。例えば「モルグ街の殺人」ですが、いったいこの中で絡み合った糸を解きほぐす手つきのどこに巧妙さがあるでしょうか…この糸は明白に、解きほぐされることを意識して絡み合わされているというのに?

 

【朗読】モルグ街の殺人事件 #1

【朗読】モルグ街の殺人事件#2

 

 

 

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なぐ:50代のおじさんです。
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