日本漆工芸協会が1985年(昭和60年)に制定。
日付は、平安時代、文徳天皇の第一皇子・惟喬これたか親王が京都・嵐山の法輪寺に参籠し、その満願の日のこの日に「漆(うるし)」の製法を菩薩より伝授されたという伝説から。この日は、以前から漆関係者の祭日で、親方が職人に酒や菓子などを配り労をねぎらう日であった。日本の伝統工芸である「漆」の美しさを知ってもらうことが目的。
うるしについて
漆(うるし)とは、ウルシ科のウルシノキ(漆の木:Poison oak)やブラックツリーから採取した樹液を加工した、ウルシオールを主成分とする天然樹脂塗料である。塗料とし、漆工などに利用されるほか、接着剤としても利用される。
うるしの語源は「麗し(うるわし)」とも「潤し(うるおし)」ともいわれている。最も一般的な用途は塗料として用いることである。漆を塗られた道具を漆器という。黒く輝く漆塗りは伝統工芸としてその美しさと強靱さを評価され、食器や高級家具、楽器などに用いられる。
漆は熱や湿気、酸、アルカリにも強い。腐敗防止、防虫の効果もあるため、食器や家具に適している。一方、紫外線を受けると劣化する。また、極度の乾燥状態に長期間曝すと、ひび割れたり、剥れたり、崩れたりする。
漆を用いた日本の工芸品では京漆器がよく知られており、漆塗りの食器では、石川県の輪島塗などが有名。竹細工の籠を漆で塗り固めるもの(籃胎)や、厚く塗り重ねた漆に彫刻を施す工芸品(彫漆)もある。
うるしの成分
主成分は漆樹によって異なり、主として日本・中国産漆樹はウルシオール (urushiol)、台湾・ベトナム産漆樹はラッコール (laccol)、タイやミャンマー産漆樹はチチオール (thitsiol) を主成分とする。漆は油中水球型のエマルションで、有機溶媒に可溶な成分と水に可溶な成分、さらにどちらにも不溶な成分とに分けることができる。
空気中の水蒸気が持つ酸素を用い、生漆に含まれる酵素(ラッカーゼ)の触媒作用によって常温で重合する酵素酸化、および空気中の酸素による自動酸化により硬化する。酵素酸化は、水酸基部位による反応で、自動酸化はアルキル部位の架橋である。酵素酸化にはある程度の温度と湿度が必要であり、これがうまく進行しないとまったく硬化しない。硬化すると極めて丈夫なものになるが、二重結合を含んでいるため、紫外線によって劣化する。液体の状態で加熱すると酵素が失活するため固まらなくなり、また、樟脳を混ぜると表面張力が大きくなるため、これを利用して漆を塗料として使用する際に油絵のように筆跡を盛り上げる事が出来る。また、マンガン化合物を含む『地の粉』と呼ばれる珪藻土層から採取される土を混ぜることで厚塗りしても硬化しやすくなり、螺鈿に分厚い素材を使う際にこれが用いられる。
金属などに塗った場合、百数十度まで加熱することで焼付け塗装することもできる。
漆の利用史
日本列島における漆の利用は縄文時代から開始され、土器の接着・装飾に使われているほか、木製品に漆を塗ったものや、クシなど装身具に塗ったものも出土している。漆製品は縄文早期から出土し、縄文時代を通じて出土事例が見られる。2000年に北海道函館市で実施された垣ノ島遺跡の調査で、出土した漆塗りの副葬品が約9000年前に作られたものであったことが明らかになった。これが現在、世界最古の漆塗り製品である。弥生時代の遺跡からは漆製品の出土は少なく、塗装技術も縄文段階と異なる簡略化されたものが多い。弥生時代からは武器への漆塗装が見られ、古墳時代には皮革製品や鉄製品などへの加工も行われている。古墳時代に至ると棺を漆で塗装した漆棺の存在も見られる。
古代には漆容器の蓋紙に廃棄文書を転用することが行われているが、漆の浸潤した廃棄文書は漆紙文書と呼ばれる。漆紙文書は土中においても遺存しやすくなり、木簡や墨書土器と並ぶ出土文字資料として注目されている。
奈良時代には漆製品も存在し、良質な漆液を用い手間をかけて製作した堅地漆器は貴重品として貴族階級が用い、一方で漆の使用量を減らし炭粉渋地(炭粉・柿渋を混ぜた下地)を用い大量生産された普及型漆器は庶民が用いたが、漆絵や蒔絵で装飾したものも見られる。
中世には林産資源のひとつとして漆の採取が行われており、甲斐国では守護武田氏が漆の納入を求めている文書が残され(永禄3年武田家朱印状「桑原家文書」『山梨県史』資料編4(県内文書)所載)、『甲陽軍鑑』では武田信玄が織田信長に漆を贈答した逸話が記されている。
いわて漆物語 はじまりの森 【漆器のできるまで】