1890年(明治23年)のこの日、北里柴三郎とエミール・ベーリングが連名で破傷風とジフテリアの血清療法の発見を発表した。
血清療法とは、菌体を少量ずつ動物に注射しながら血清中に抗体を生み出し、その抗体のある血清を患者に注射することで、体内に入った毒素を中和して無力化する治療法である。
日本の医学者・細菌学者の北里柴三郎(きたざと しばさぶろう、1853~1931年)は、「日本の細菌学の父」として知られ、感染症ペストの病原体であるペスト菌を発見や、破傷風の治療法を開発するなど感染症医学の発展に貢献した。
私立伝染病研究所(現:東京大学医科学研究所)の創立者・初代所長、土筆ヶ岡養生園(現:東京大学医科学研究所附属病院)の創立者・運営者、私立北里研究所・北里研究所病院(現:学校法人北里研究所)の創立者・初代所長、慶應義塾大学医学科(現:慶應義塾大学医学部)の創立者・初代医学科長、日本医師会の創立者・初代会長でもある。
ドイツの医学者・実業家のエミール・ベーリング(Emil Behring、1854~1917年)は、「ジフテリアに対する血清療法の研究」で、1901年(明治34年)の第1回ノーベル生理学・医学賞を受賞した。
北里は破傷風を、ベーリングはジフテリアを研究し、特にジフテリアの場合はエミール・ルーのジフテリア毒素の発見もあって、血清療法の進展にとって画期的なものとなり、後の第1回ノーベル賞受賞に繋がった。
ただし、ベーリングのジフテリア血清療法は、北里の破傷風血清療法を基にしたものであり、ベーリング本人も北里あっての受賞であることを認めている。
また、北里は受賞はできなかったが、第1回ノーベル生理学・医学賞の最終候補者(15名のうちの1人)に名前が挙がっていた。ベーリングは単独名でジフテリアについての論文を別に発表していたことなどがその受賞に繋がったとされている。
血清療法とは
血清(けっせい)とは、血液が凝固して上澄みにできる淡黄色の液体成分のこと。血液の液体成分(血漿)そのものではないが、それに近いものである。これを医療に利用するものに血清療法がある。
血液を試験管に入れ放置すると、凝固して沈殿物(血餅)と液体(血清)に分かれる。血餅は細胞成分(赤血球、白血球、血小板)と線維素からなる。これをさらに遠心分離すると、血清と血餅を完全に分離できる。
動物(馬など)に、毒素を無毒化・弱毒化した上で注射し、毒素に対する抗体を作らせる。血清療法は、この抗体を含む血清を、病気の治療や予防に用いる方法である。
破傷風の免疫を獲得した動物の血清を治療に応用する
世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功した北里は、早速その菌を使って破傷風の治療法についての研究を始めた。彼は破傷風という病気が、毒物による中毒と共通の性質を持つことに注目した。そこで自分で工夫したろ過器を用いて、破傷風菌の培養液をろ過し、毒素は含むが菌体や芽胞は含まない溶液を抽出した。そしてこれを動物に注射すると、破傷風にかかったときと同じ症状を示しながら死亡した。
こうして実験を繰り返していると、溶液の濃度を低くした場合、耐えられない個体と耐えられる個体が出てくる。そこで耐えられた個体に、濃度を少し高くした培養液を注射してみると、やはり耐える。それを繰り返すと、やがてその個体は、明らかに致死量を超えた毒素にも耐えるようになった。動物は、破傷風の毒素に対する免疫を獲得したのだ。北里はこの動物の体内にできているはずの、毒物に耐える物質を「抗毒素」と名付けた。これが現代でいう「抗体」の最初の概念である。そして抗毒素を獲得した動物の血清を他の個体に接種すると、その個体も毒素に対する免疫を獲得することもわかった。
一方で北里は、同じ手法をジフテリア菌にも応用し、同僚のベーリングを助けてジフテリア血清の研究を進めた。
「命を守る 北里研究所-伝統と未来-」ヨネ・プロダクション1990年製作