1925年(大正14年)のこの日、東京乗合自動車により日本初の定期観光バスである
「ユーランバス」
の運行が開始された。
日本初の定期観光バスだったが、路線バス扱いであり、途中の下車観光地から乗車した場合の運賃も定められていたという。当初のコースは「皇居前~銀座~上野」であった。
その後、経営不振により、東京乗合自動車の遊覧自動車事業は一旦休止に追い込まれたが、新日本観光株式会社(現:株式会社はとバス)に譲渡され、同社の手によって再開された。
日本のバス事業の始まりには諸説あるが、1903年(明治36年)9月20日に二井商会という会社が京都市内で始めたのが最初のバス事業であるとされている。
その最初のバスは、蒸気自動車を改造したもので6人乗り、風雨や砂ぼこりなどを防ぐための幌(ほろ)もなかった。この日を記念して、日本バス協会が9月20日を「バスの日」に制定している。
東京遊覧乗合自動車
東京遊覧乗合自動車(とうきょうゆうらんのりあいじどうしゃ)は、かつて日本に存在したバス運行会社。1925年(大正14年)に東京市内の定期観光バスの営業を最初に始めた。これは別府温泉の亀の井バスに先行して始まったものであった。一般には渡辺滋の発案、東京乗合自動車の後援で実施が始まったとされる。戦時体制下の交通事業整理の名目で営業休止となる。太平洋戦争後、東京都などの出資を得て、新日本観光として再出発。1963年(昭和38年)9月1日、新日本観光は、はとバスと改名した。
運行開始
東京遊覧乗合自動車による東京市内の遊覧バスの営業が始まったのは、1925年(大正14年)12月15日からである。毎日運行。上野営業所に午前9時、または新橋営業所に午前10時に乗車する。宮城(皇居)、日比谷公園、芝公園、愛宕山、泉岳寺、明治神宮、東宮御所、東京招魂社、上野公園、浅草観音、被服廠跡、銀座通りなどを8時間かけて回るコースであった。
出発から一巡して営業所に戻るまで約8時間。そのうち乗車時間が約3時間で下車して見学する時間が約4時間半、残り30分が昼食休憩であった。昼食休憩は、明治神宮前で行い、ここに休憩所と食堂が用意されていた。休憩所にはお茶の用意があり、また食堂には定食が50銭で用意されていた。
乗車料は開業当初が大人3円、12歳以下2円であった。翌年には大人3円50銭、12歳以下2円50銭となる。貸切運行は20人乗り1台が60円。
遊覧運行には通常、案内人は2人がつく。また貸切営業も行っており、この場合、発車時間は随時。貸切で乗客数が多い場合は案内人の数を増やして対応する場合もあった。
はとバス 【イメージプロモーション】
Tokyo Sightseeing|Hato Bus