3月31日今日は何の日?:エッフェル塔落成記念日
1889年(明治22年)のこの日、エッフェル塔の落成式が行われた。
エッフェル塔について
エッフェル塔は、フランスの首都パリのシャン・ド・マルスの広場に立つ鉄塔で、パリの象徴的な名所となっている。同1889年5月6日に開催されたパリ万国博覧会(パリ万博)に合わせて建設され、フランス人技師ギュスターヴ・エッフェルが設計した。エッフェル塔の名前は彼に由来する。建設は万博に間に合わせるため、2年2ヵ月という驚異的な速さで完成した。
建設当時の高さは312.3m(旗部を含む)で、1930年(昭和5年)にアメリカのニューヨークに高さ319mのクライスラー・ビルディングが完成するまでは世界一高い建造物であった。現在は放送用アンテナが設置されたため、エッフェル塔の高さは324mとなっている。
1991年(平成3年)、エッフェル塔を含むパリのセーヌ川周辺は世界遺産として登録された。エッフェル塔は、世界で最も多くの人が訪れた有料建造物である。2017年(平成29年)9月には通算来場者数が3億人を突破して記念式典が開催された。
コンペティション開催
1889年のフランス革命100周年を記念してパリで第4回万国博覧会が開催されることが1884年に決定したものの、当初はそれほど目玉となるプランがあるわけではなかった。そうしたなか、橋梁建設、特に鉄橋において高い評価を得ていた建設会社・エッフェル社の技師であるモーリス・ケクランとエミール・ヌーギエは1884年5月に、高さ300mの鉄の塔を建てて万博のシンボルとする案を立てた。この案に同じく社員であるステファン・ソーヴェストルが修正を加え、現在みられるエッフェル塔とほぼ同じ計画案を作成した。この案は社長であるギュスターヴ・エッフェルの賛同と強力な支援を受け、各方面に売り込みが行われた。
1886年、万博の目玉となる大建造物を選定するためのコンペティションが開かれると、エッフェルはソーヴェストルおよびケクランと連名で計画案を提出した。1886年6月3日、コンペティション最優秀作品として委員会が選んだのは3案あり、フェルディナン・デュテルとジャン・カミーユ・ルミジュの作品(美術館など)と、エッフェル、ソーヴェストル、ケクランらの設計図であった。エッフェルらの案は満場一致で採択され、講評は「1889年の万国博覧会用に建てられる塔は決定的な特徴をもち、金属産業の独創的傑作として出現しなければならない。この目的に充分適うのはエッフェル塔のみと思われる」であった。
建設候補地となったのはセーヌ川をはさんだシャン・ド・マルスとトロカデロの2つの地区であったが、トロカデロは地下に空洞があったために地盤が不安視され、シャン・ド・マルスへの建設が決まった。7月には仮契約が締結され、1889年3月31日を工期の期限とすること、20年後の1909年には塔をパリ市に引き渡すこと、および工期中に政府からの補助金150万フランが交付されることとなったが、これは予想される総工費650万フランの4分の1以下にすぎず、残りはエッフェル自身の金策によって調達されることとなった。1887年1月8日には本契約が締結された。エッフェル塔の入場料は上記契約により1909年まではエッフェル自身の収入となり、これによってエッフェル塔の建設費を返済していくこととなった。彼はその後、エッフェル塔を管理するための新会社を設立し、資本金の半分を自ら拠出した。
建設
1887年1月28日に起工式が行われ、エッフェル塔建設が開始された。まず基礎工事が開始され、潜函工法によって6月11日には基礎が完成した。ついで4本の脚から塔本体の建設が始まり、1888年3月には1階の展望台が完成して4本の脚がつながった。同年8月14日には2階展望台が完成し、1889年2月24日には3階展望台の工事が着工。1889年3月30日には竣工した。3月31日にはピエール・ティラール首相らを招いて竣工式が行われた。
建設は万博に間に合わせるため、2年2か月という驚異的な速さで完成した。またエッフェルは熟練作業員による少数精鋭主義をとるとともに工事中の安全対策には特に注意を払い、工事期間中の死者は1人にとどまった。総工費は650万フランであった。
【空撮】エッフェル塔(フランス)