1934年のこの日、渋谷駅前の忠犬ハチ公像が完成し、除幕式を挙行。ハチ自身も除幕式に出席した。
ハチは、飼い主が死去した後も駅前で帰りを待ち続けた「忠犬」として知られる。東京・渋谷をはじめ、ゆかりの地には像が置かれている。特に渋谷駅前のハチ公銅像は、いつしか待ち合わせの目印として使われるようになり、その銅像周囲は待ち合わせ場所として「ハチ公前」などとして親しまれている。
ハチの飼い主は東京府豊多摩郡渋谷町大向(現:東京都渋谷区松濤一丁目)に住んでいた東京帝国大学教授・上野英三郎であった。彼は大変な愛犬家であり、出かける時には渋谷駅までハチを伴うことも多かった。しかしながらハチを飼い始めた翌年にあたる1925年(大正14年)に上野は急死した。
上野英三郎の死後も渋谷駅前で亡くなった飼い主の帰りを毎日待ち続けたハチの姿は、新聞記事に掲載され、人々に感銘を与えたことから「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになった。
さらに、1934年(昭和9年)には渋谷駅前にハチの銅像が設置されることとなり、その除幕式にはハチ自身も参列した。同じく1934年(昭和9年)に尋常小学校2年生の修身の教科書には、「恩ヲ忘レルナ」の話題としてハチの物語が採用された。これをファシズムと関連づける見解があるが、1936年(昭和11年)発行の修身教科書の「恩ヲ忘レルナ」の話題は大正時代の修身教科書の「恩ヲ忘レルナ」の話題「永田佐吉の恩返し」に戻り、1938年(昭和13年)発行の修身教科書の「謝恩」の話題は大正時代の修身教科書の「謝恩」の話題「豊臣秀吉おね夫妻の恩返し」に戻っており、ハチの物語は二度と修身教科書に採用されなかった。
ハチの銅像は第二次世界大戦中の金属供出によって破壊されたが、戦後再建され、現在に至るまで渋谷のシンボルとして、また渋谷駅前における待ち合わせの目印となって立像している。
ハチ公物語 Hachiko Monogatari 「舞い落ちる雪のように」
スペインでも秋田犬は忠犬だった!飼い主が入院している病院の前で6日間待ち続けた犬に心打たれる【感動】