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6月1日今日は何の日?:マリリン・モンローの日

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1992年(平成4年)にアメリカ・ロサンゼルス市とハリウッド商工会議所が制定。

1926年(大正15年)のこの日、ハリウッドの映画女優マリリン・モンロー(1926~1962)がロサンゼルスで生まれた。「マリリン・モンロー」は芸名で本名は「ノーマ・ジーン・ベイカー」。「モンロー」は母親の姓で、「マリリン」の名は1920年代のブロードウェイの美貌の舞台女優マリリン・ミラーに由来している。20世紀を代表するセックスシンボル(性的魅力のある人)として広く認知されている。

 

マリリン・モンロー

マリリン・モンローMarilyn Monroe、1926年6月1日 – 1962年8月5日)は、アメリカ合衆国の女優、モデルである。典型的な「ブロンド・ボムシェル」(”Blonde bombshell”, 「金髪美女」)」役を演じたことで有名な彼女は、1950年代で最も人気のあるセックスシンボルの1人であり、セクシャリティに対する時代の態度を象徴していた。彼女は1962年に予期せぬ死を迎えるまで、わずか10年ほどの花形役者だったが、彼女の映画は2億ドルの収入を得た。彼女は引き続き大衆文化のアイコンとみなされている。

モンローの出生証明書

ロサンゼルスで生まれ育ったモンローは、幼少期のほとんどを里親と孤児院で過ごし、16歳で結婚した。戦時中、1944年に工場で働いていたが、第1映画部隊の写真家に紹介され、ピンナップモデルとしてキャリアを積み始めた。その後、20世紀フォックス(1946年 – 47年)、コロンビア映画(1948年)と短期間の映画契約を結ぶ。マイナー映画への出演後、1951年からのフォックスとの新たな契約の元で2年間、彼女は『素晴らしき哉、定年!』と『モンキー・ビジネス』を含むいくつかの喜劇、そして『熱い夜の疼き』『ノックは無用』といったドラマ映画に出演。モンローは、スターになる前にヌード写真を撮っていたことが判明したが、彼女の経歴にダメージを与えることはなく、むしろ彼女の映画に対する関心が高まった。

1953年までに、モンローは、彼女の性的魅力に焦点を当てたノワール『ナイアガラ』と、コメディ『紳士は金髪がお好き』、『百万長者と結婚する方法』の3つの映画で主役を演じ、「頭の悪い金髪女性」(”Dumb blonde”)というスターイメージを確立。ハリウッドの最も有名なスターの1人となった。モンローはキャリアを通じて、スタジオが彼女のパブリックイメージの創造と管理をしつつも同じ型の役ばかりを割り当て十分な賃金を支払わないことに不満を抱いていた。彼女は映画プロジェクトを拒否して1954年に一時的に休業したが、彼女のキャリア最大の興行収入を上げた映画の1つ『七年目の浮気』でスターの地位を取り戻した。

『紳士は金髪がお好き』(1953年)の一場面

スタジオが依然として契約変更を嫌がっていたとき、モンローは1954年後半に映画制作会社を設立した。彼女はそれをマリリン・モンロー・プロダクション(MMP)と名付けた。彼女は1955年に、アクターズ・スタジオでメソッド演技法を学び始めた。1955年後半、フォックスは彼女と新しい契約を結び、彼女に多くの支配権とより多くの給料を与えた。1956年、『バス停留所』は批評家に称賛され、MMP最初の独立企画である『王子と踊子』の演技でゴールデン・グローブ賞主演女優賞の候補となった。1961年公開の『荒馬と女』が遺作となった。

マリリン・モンローと2番目の夫ョー・ディマジオ(右)(1954年)。ディマジオは離婚後もモンローを一途に愛し、晩年は頼ってきた彼女の心の支えとなった

モンローの悩ましい私生活は大きな注目を集め、ハリウッド女優になってから野球のスター選手だったジョー・ディマジオ、劇作家のアーサー・ミラーと結婚をしている。一方で、彼女は薬物乱用、うつ病、不安に悩まされていた。1962年8月5日、彼女はロサンゼルスの自宅でバルビタールの過剰投与により36歳で死亡。モンローの死には、陰謀論が提唱されている。

 

ケネディ兄弟との不倫

ケネディ大統領の誕生日祝賀会の後にケネディ兄弟と話すモンロー(1962年5月19日)
右奥は歌手のハリー・ベラフォンテ夫妻。話しているのはコメディアンのジャック・ベニー。右最手前は大統領補佐官アーサー・シュレジンジャー

1961年にミラーと離婚したが、この離婚に先立つ1959年頃から、ケネディの妹の夫で俳優のピーター・ローフォードやフランク・シナトラの紹介で、前年に大統領となったジョン・F・ケネディと肉体関係にあったことが、ローフォードやモンローの家の家政婦のレナ・ペピートーンなどの多数の証言により明らかにされている。また、ジョンの弟で司法長官を務めていたロバート・ケネディとも関係があったとも囁かれたことがある。

同年に封切られた映画『荒馬と女』の評判が悪く、また共演したクラーク・ゲーブルが撮影終了後に急死したことも重なり、不安定になり再び精神病院に入院。この時、よりを戻した元夫ディマジオが彼女を支えた。翌1962年に、映画『女房は生きていた』の主演になるが、たびたび撮影をすっぽかすため制作はほとんど進まなかった。『女房は生きていた』の主役は結局降ろされた(『女房は生きていた』は、翌1963年にドリス・デイ主演で公開された)。

なおジョン・F・ケネディとモンローとの関係は、最初はケネディがサム・ジアンカーナらマフィアと関係の深いシナトラを介してモンローと知り合った。さらに、ジアンカーナが2人の関係を知っており、このことをマフィアの取り締まりを強化しようとしていたケネディ政権に対する取引に使おうとしていたことを憂慮した、FBIのジョン・エドガー・フーヴァー長官が、ロバートに忠告したことでこの年に終焉を迎えた。しかしながらモンローは、その関係が終焉を迎えた直後の1962年5月19日に、ニューヨーク市のマディソン・スクエア・ガーデンで行われたケネディの45歳の誕生日パーティ(司会はローフォード)に、体の線が露わになったドレス姿で赴き、「ハッピーバースデートゥーユー」を歌い、「いつ引退しても悔いはない」とケネディに言わしめた。

なお、この際にケネディとモンローの性的関係を快く思っていなかったジャクリーン夫人は、誕生日パーティーにモンローが来ると知ってあえて欠席した。なお、ケネディはモンローの死の1年3ヶ月後の翌年11月に凶弾に倒れている。

 

死と波紋

1962年8月5日、ロサンゼルス郊外のブレントウッドにある自宅の寝室で全裸で死亡している所をメイドが発見した。36歳だった。死の直後、マスコミでは「死因は睡眠薬の大量服用による急性バルビツール中毒で、自殺の模様」と大々的に報道され、世界に多大な衝撃・悲嘆が駆け巡った。

ドラッグ・オーバードースであるとの声もある上、「『女房は生きていた』の主役を降ろされたことを悲観して」との根拠に欠ける仮説も唱えられたが、2000年代に入りFOXニュースが20世紀フォックスの倉庫から発見した資料によると、FOX首脳部との会談で、モンローとそりの合わなかった監督を降板させ、モンローを復帰させる契約が交わされていたことが分かった。さらに、「何という行き方!」というミュージカル大作への出演も決まっており、「モンローが配給会社から見捨てられ、失意の中で死んでいった」という仮説は成立しなくなることが分かった。

1980年前後以降は自殺説は影を潜め、モンローの死後間もない時期から存在していた何者かによる謀殺説が根強く叫ばれ続けている。現場からは自殺に使うはずのコップは発見されておらず、またモンローが遺体で発見されたとき、手には受話器が握られていたものの、FBIが押収したモンローが死亡した前日と死亡した夜の電話の通話記録 には電話局からは同時刻の通話記録はなく、部屋からはモンローの日記(赤い手帳)が消えていた。そのため電話の通話記録の改ざん・隠蔽を行うことができる政治力の持ち主がモンローの死に関わっていたとする主張がある。「急性バルビツール中毒による体の不調を受けて救急車を自ら呼ぶために受話器を取ったものの、ダイヤルする前にこと切れた」という説もある。

なお、ケネディ大統領と1950年代より不倫関係にあったこと、さらにケネディ大統領の弟であり当時の司法長官だったロバートとも不倫関係にあったことが上記のように死後複数の証言から暴露された 上に、お互いを紹介したのが、ケネディの大統領選挙の際の支援者でマフィアの大ボスのサム・ジアンカーナと関係の深いシナトラであったことや、これらの関係を知ったFBIのジョン・エドガー・フーヴァー長官が、ケネディとモンローのみならず、ケネディとマフィアの関係についても度々忠告していたことが、この謀殺説を後押ししている。またこれらの不倫の事実が死後に公にならないように、モンローが常に会話の内容をメモしていた赤い手帳が表に出るのを避けるために謀殺後に密かに処分したという説もある。

『王子と踊子』(1957年)の一場面

 

 

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なぐ:50代のおじさんです。
音楽、ギター、写真、ガジェットと多趣味で好きなことは夢中になるタイプ。最近は5ヶ月で25kgのダイエットに成功。