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5月31日今日は何の日?:初代国技館が完成

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1909(明治42)5月31日、東京・墨田区両国に初代…両国国技館が完成しました。

開会式は同年6月2日京葉道路沿いで本所回向院の境内に建設された初代国技館は、東京駅を設計した建築家の辰野金吾氏が設計を手掛け、日本初となるドーム型鉄骨板張の洋風建築建物となりました。

それまでは約3,000人ほどの収容が限界だった施設から収容人数約13,000人と約4倍以上に拡張されております。

また、その外観的特徴から大鉄傘(だいてっさん)の愛称で相撲ファンのみならず多くの人に親しまれておりました。

ちなみに、建物名に関しては命名が難航し、当初は常設館との名称が使用されていたそう。

しかし、設立委員長となっていた板垣退助氏が、日本の国技である相撲を行う場所として國技館と命名したとされております。

その後、国技館は火災や関東大震災などの影響を受け何度か再建されるも、建築関連や完全管理などの法律の改定や、経年劣化等による老朽化の影響で1983(昭和58)年に解体され、新たに建設された新国技館にその役目を繋いでおります。

 

初代国技館

先代は現在の国技館とは異なり、京葉道路沿いの本所回向院の境内にあった。1906年(明治39年)6月着工、3年後の1909年(明治42年)5月に竣工し、6月2日に開館式が行われ、6月場所より使用された(それまでは小屋掛け(臨時に設備を設けて行なうこと)による「回向院場所」が行なわれていた)。しかし6月場所の番付上は「常設館」とだけあって、まだ国技館の名は無かった。6月場所は本来は5月18日より興業との番付が発表されており、工事の遅延によって場所が延期となって6月開催となったという経緯がある。

辰野金吾

設計は日本銀行本店や東京駅、浜寺公園駅の設計者として知られる辰野金吾とその教え子葛西萬司で、「大鉄傘」の愛称は当時のデザインに由来する。工事費用は27万円。枡席約1,000席を含む13,000人が収容可能で、3,000人程度しか収容できなかった小屋掛け時代の3倍以上の収容能力となった。実際の収容人数は20,000人以上ともされていた。建物の内径は62m、中央の高さは25mあった。天候に関係なく興行を打てるようになったことで、優勝制度が自然発生的に生まれたとする見方もある。

 

 

命名

板垣退助

こうして竣工した常設館の名称は、当初は設立委員会の委員長を務める伯爵板垣退助が提案した「尚武舘」(しょうぶかん)が有力な候補となっていた。ところが大の相撲好きだった作家の江見水蔭が開館式の式次第のために起草した披露文の中に「角力は日本の國技なり」という一文を見た委員の一人・年寄の三代尾車(元大関大戸平)はこれに甚く感じるところがあり、土壇場になって名称に「國技舘」を提案した。この名称については5月29日の委員会で話し合われたがまとまらず、結局開館式の直前になって板垣の最終決定という形でこれを了承。これを受けて6月1日付の『朝日新聞』に「國技舘を觀る」という記事が掲載された。午前5時の祝砲に始まった翌2日の開館式は空前の盛会となり、土俵の中央に立った板垣が「國技舘」と命名されたことを高らかに宣言すると会場は拍手万雷に包まれた。翌3日付の『朝日』が「國技と名づけられたる角力道がいや榮に榮えゆくべき瑞相とは知られたり」と書いたように、相撲はここに神事から国技へと変貌を遂げたのである。なお命名が最後までずれ込んだため当初の番付表などにはまだ「両國元町常設館」とあったが、翌年1月場所の番付表に初めて「本所元町國技舘」の名称が記された。

 

二度の再建

再建後の国技館

1917年(大正6年)11月29日午前1時30分、1階売店 福井軒にあった火消壷からの出火による火災が発生、放駒などの消火により午前2時40分に鎮火するも回向院花売場、本堂も含め全焼した。損害額約120万円、(回向院 約12万円)火災保険は約13万円だった。使用不能の間は靖国神社境内に仮小屋を建てて興行を行なった。

関東大震災で被災した国技館

新国技館は葛西博士により屋根は亜鉛製にて設計され、1918年(大正7年)7月に地鎮祭・起工式、1919年(大正8年)4月3日に鉄柱崩壊事故があるも、1920年(大正9年)1月15日に完成・開館式を挙行した。1920年(大正9年)9月1日に再建興行したが、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で屋根・柱など外観を残して再度焼失。再建の結果、翌年の夏場所から興行を再開した。再建中、1924年(大正13年)1月に愛知県名古屋市で本場所が行われたこともある。

震災復興後の昭和初期

 

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