1915(大正4)年5月23日、東京駅〜東京中央郵便局(現:JPタワー)の約0.2kmを結ぶ
郵便物搬送用の地下電車が開通しました。
この貨物電車が日本最初の地下鉄とされております。ちなみに、旅客用としては、1925(大正14)年に開通した宮城電気鉄道/現・JR仙石線が最初とされており、仙台駅〜東七番丁駅間の1駅区間・約0.4kmが運行されておりました。
東京駅と隣接する東京中央郵便局。かつて、この二つの建造物の間には郵便物を搬送する ための地下隧道が存在した。そこには上下2線の軌道が敷設され、この上を電気機関車が郵便 物を搭載した台車を牽引して搬送していたのである。 地下鉄と呼ぶにはあまりにも規模が小さく、しかも旅客は運んでいないが、「レールの敷設 された地下隧道を通って電気機関車が荷物を運搬する」という点では日本初の試みであった。竣工は東京駅開業の翌年、大正4(1915)年3月であり、昭和2(1927)年に開業した上野・ 浅草間の東京地下鉄道(現在の東京メトロ浅草線)より12年も早いスタートであった。
完成時の地下軌道の概要
大正4(1915)年に完成した地下軌道は、総延長60鎖90(約1,225m)で、軌条幅員は61 糎(㎝)、12甅(cg)のレールを使用していた。地下隧道の幅員は4m、高さは2.25mであった。 地下軌道の1,225mという距離については、東京駅と東京中央郵便局との距離は200m程度で あることから疑問が残るが、報知新聞には約半哩(800m)と記載されている。局内線路から 八重洲側線路までの距離と、そこから分かれたホーム地下隧道南北2線等の距離を合わせると 600m程度になるため、この距離数は上下2線の合計ではないだろうか。電気機関車は、軌道着工と同時(大正3(1914)年12月)に2台を購入して交互に使用して いたが、大正11(1922)年9月には発着回数の増加に伴い更に3台の機関車を購入している。 架線は直流220V単線架空式、電気機関車は直流220V20馬力であった。機関車1台に付最大5 両の台車が連結でき、台車には郵便物を積んだ三輪車を直接搭載することができた。通常は機 関車3台で交互運転し、繁忙期には4台を使用した。