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6月3日今日は何の日?:和同開珎が発行

投稿日:2020年6月2日 更新日:

 

708年6月3日(旧暦:和銅元年5月11日)日本初となる流通貨幣「和同開珎」が発行。

 

和同開珎(わどうかいほう、わどうかいちん)

直径24mm前後の円形で、中央には一辺が約7mmの正方形の穴が開いている円形方孔の形式である。表面には、時計回りに和同開珎と表記されている。裏は無紋である。形式は、621年に発行された唐の開元通宝を模したもので、書体も同じである。律令政府が定めた通貨単位である1文として通用した。当初は1文で米2kgが買えたと言われ、また新成人1日分の労働力に相当したとされる。

現在の埼玉県秩父市黒谷にある和銅遺跡から、和銅(にきあかがね、純度が高く精錬を必要としない自然銅)が産出した事を記念して、「和銅」に改元するとともに、和同開珎が作られたとされる。ただし、銅の産出が祥瑞とされた事例はこの時のみであり、和同開珎発行はその数年前から計画されており、和銅発見は貨幣発行の口実に過ぎなかったとする考え方もある。唐に倣う目的もあった。和同開珎銀銭

708年5月には銀銭が発行され、7月には銅銭の鋳造が始まり、8月に発行されたことが続日本紀に記されている。銀銭が先行して発行した背景には当時私鋳の無文銀銭が都で用いられていたのに対応して私鋳の無文銀銭を公鋳の和同開珎の銀銭に切り替える措置が必要であったからと言われている。しかし、銀銭は翌年8月に廃止された。和同開珎には、厚手で稚拙な「古和同」と、薄手で精密な「新和同」があり、新和同は銅銭しか見つかっていないことから、銀銭廃止後に発行されたと考えられる。古和同は、和同開珎の初期のものとする説と、和同開珎を正式に発行する前の私鋳銭または試作品であるとする説がある。古和同と新和同は成分が異なり、古和同はほぼ純銅である。また両者は書体も異なる。古和同はあまり流通せず、出土数も限られているが、新和同は大量に流通し、出土数も多い。ただし、現在、古銭収集目的で取引されている和銅銭には贋作が多いので注意を要する。

当時の日本はまだ米や布を基準とした物々交換の段階であり、和同開珎は、貨幣としては畿内とその周辺を除いてあまり流通しなかったとされる。また、銅鉱一つ発見されただけで元号を改めるほどの国家的事件と捉えられていた当時において大量の銅原料を確保する事は困難であり、流通量もそれほど多くなかったとの見方もある。更に地方財政(国衙財政)が一貫して穎稲を基本として組まれている[3]ことから、律令国家は農本思想の観点から通貨の流通を都と畿内に限定して地方に流れた通貨は中央へ回収させる方針であったとする説もある。それでも地方では、富と権力を象徴する宝物として使われた。発見地は全国各地に及んでおり、渤海の遺跡など、海外からも和同開珎が発見されている。

発行はしたものの、通貨というものになじみのない当時の人々の間でなかなか流通しなかったため、政府は流通を促進するために税を貨幣で納めさせたり、地方から税を納めに来た旅人に旅費としてお金を渡すなど様々な手を打ち、711年(和銅4年)には蓄銭叙位令が発布された。これは、従六位以下のものが十貫(1万枚)以上蓄銭した場合には位を1階、二十貫以上の場合には2階進めるというものである。しかし、流通促進と蓄銭奨励は矛盾しており、蓄銭叙位令は銭の死蔵を招いたため、800年(延暦19年)に廃止された。

政府が定めた価値が地金の価値に比べて非常に高かったため、発行当初から、民間で勝手に発行された私鋳銭の横行や貨幣価値の下落が起きた。これに対し律令政府は、蓄銭叙位令発布と同時に私鋳銭鋳造を厳罰に定め、首謀者は死罪 、従犯者は没官、家族は流罪とした。しかし、私鋳銭は大量に出回り、貨幣価値も下落していった。760年(天平宝字4年)には万年通宝が発行され、和同開珎10枚と万年通宝1枚の価値が同じものと定められた。しかし、形も重量もほぼ同じ銭貨を極端に異なる価値として位置づけたため、借金の返済時などの混乱が続いた。神功開宝発行の後、779年(宝亀10年)に和同開珎、万年通宝、神功開宝の3銭は、同一価を持つものとされ、以後通貨として混用された。

その後、延暦15年(796年)に4年後をめどに和同開珎、万年通宝、神功開宝の3銭の流通を停止する詔が出されたものの、実際に停止できたのは大同2年(807年)のことであり、それも翌年には取り消された。また、延暦15年の詔では全ての貨幣を隆平永宝に統一する方針が出され、そのための材料として回収された3銭が鋳潰された。和同開珎が流通から姿を消したのは9世紀半ばと推定されている。

 

「わどうかいほう」か「わどうかいちん」か…

「わどうかいちん」説

和同開珎の「珎」は、「珍」の異体字という立場に立っている。だから、音としては当然「チン」となると主張する。確かに漢字の出来方から見て、寶と関連づけられる点を見出すことはできない。「カイホウ」説のいう寳の字の一部「珎」を抜き出して略字としたという意見は、漢字の出来方を無視していることになる。珎の形を含む寳が本字ならば「珎」を略字とも考えられないことはないが、もとになる「寳」は既に略されて寶の異体字になっているので、異体字のそのまた略字を想定することは、どう見ても理屈に合わない。

ところで、カイチン説の裏付けとなるものとして、正倉院の古い文書にある「国家珎寳」という文字がよく引き合いに出される。珎が寳の略字だとするならば二つ重ねるのに別々の「ホウ」の字を使うという奇妙なことになるので、これは「国家チンホウ」であって、珎は珍の異体字として当時常用されていたという事実に基づく「カイチン」説の有力な資料である。

さらに「カイチン」という音の資料もある。和銅銭のことが文書の上に現れたのでは、平安時代末期の歴史書「日本紀略」に「和銅開珍」とあるのが一番古いものと言われている。書かれた文字は銭文とは大分違うが音としては間違いなく「和銅開珍(ワドウカイチン)」と読める。

年号「和銅」については「カイチン」説は、年号の和銅と銭文の和同とは字が違うように、年号に関係はなく、中国の古典にある吉祥語から採ったもので、「開」の意味する「始める」と、宝物のことを言う「珎」とで、「始めてのお金」の意味であると言うのである。(このことに関連して、和同開珎は和銅の年号に関わりなく、それ以前に造られたのではないかという古い研究もあるが、富本銭との関係などで、別の機会にあらためて紹介したい。)

 

「わどうかいほう」説

カイホウ説は、当時の貨幣の銭文には殆ど寳(ホウ)が用いられているということから見て、寳に含まれる珎だから和同開珎の珎も他の銭文の寳と同じで、珎を寳の略字と考えているのである。もう一つは、和同の年号と銭文とを関連づけている。和銅の銅の金偏を取ってしまって「同」とし、寳の珎を生かした略字「珎」にして「和同開珎」としたと主張する。だから音は「ワドウカイホウ」であると言う。このことは、和同開珎の約五十年後に発行された「神功開寳」とも連動していると言う。神功開寳が発行された時は、和同開珎がまだ使われていたので、和同開珎の銭文の意味も十分知った上で、神功の「功」を略さないのだから寳も略さずにそのまま使ったというのである。なお、当時は、同じ意味ならば字の形は異なっていても、同じ音で読む習慣はそう珍しいことではなかったから、寳と同じく珎を「ホウ」と発音してもおかしくはないとしている。

カイホウ説の古い資料では、東大寺伎樂面の「天平勝珎」の文字がある。明らかに年号の「天平勝寶」のことである。年号の字を書き誤ったとは考えられないとすると、「珎=寳」もあながち考えられないことではないとするものもある。然し、寳を珎に置き換えた例は今までにこの一例しかないので、「うっかりミス」という考えの方が妥当のようである。

 

大勢となっているカイチン説

当時の残された資料の中で、年号に「和同」を使ったものは一つもないこと、又、珍を珎とした事例が多くあることなどから見て、さらには漢字そのものの[ 寶→寳→宝 ][ 珍→珎 ]の流れから見て、カイチン説が定説になりつつあることは事実である。NHKはじめ、最新の歴史書、歴史辞典等の出版物は殆ど例外なくすべてカイチンで通している。学校の歴史の教科書を見ても、中学校ではカイチンと仮名をふり( )でホウと付け加える「カイチン(ホウ)」型であり、高等学校でも7種の中、カイチン(ホウ)型が5、カイチン、カイホウ型各1となっていて、学校教育の中でも大方はカイチンに統一する方向である。

 

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