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6月6日今日は何の日?:「D-デイ」ノルマンディー上陸作戦が決行

投稿日:2020年6月5日 更新日:

LCVPからオマハ・ビーチに上陸する米第1歩兵師団第16歩兵連隊E中隊

1944(昭和19)年6月6日第二次世界大戦において「ノルマンディー上陸作戦」が決行。作成名をとって6月6日は、『D-デイ』と呼ばれています。

 

ノルマンディー上陸作戦

連合軍の揚陸風景

ノルマンディー上陸作戦(Invasion of Normandy)は、第二次世界大戦中の1944年6月6日に連合軍によって行われたドイツ占領下の北西ヨーロッパへの侵攻作戦。正式作戦名「ネプチューン作戦」。なお上陸からパリ解放までの作戦全体の正式名称はオーヴァーロード作戦(Operation Overlord)。

最終的に200万人近い兵員がドーバー海峡を渡ってフランス・コタンタン半島のノルマンディー海岸に上陸した。現在に至るまで歴史上最大規模の上陸作戦である。

本作戦は夜間の落下傘部隊の降下から始まり、続いて上陸予定地への空襲と艦砲射撃、早朝からの上陸用舟艇による敵前上陸が行われた。上陸作戦に続くノルマンディー地方の制圧にはドイツ軍の必死の抵抗により2か月以上要した。

ノルマンディー上陸はヨーロッパ戦線の転機となった作戦であり、第二次世界大戦中最もよく知られた戦いの一つでもある。本作戦で用いられた用語「D-デイ」は作戦決行日を表し、現在では主に作戦開始当日の1944年6月6日について使われる。

 

上陸前夜

連合軍が徹底的にオーバーロード作戦を秘匿したにもかかわらず、ヴィルヘルム・カナリス海軍大将が指揮するアプヴェーア(国防軍情報部)は、オーバーロード作戦が開始される前兆として、BBC放送がヴェルレーヌの「秋の歌」第一節の前半分、すなわち「秋の日の ヴィオロンの ためいきの」を暗号として放送するという情報をつかんでいた。これは「連合軍の上陸近し。準備して待機せよ」という、イギリス軍特殊作戦執行部(SOE)発でヨーロッパ大陸の対ドイツレジスタンス全グループに宛てられた合図の暗号放送であった。放送予定は当月の1日または15日。

アプヴェーアが見込んでいた通り、6月1日、午後9時のBBC放送ニュースの中のコーナー「個人的なおたより」でこの暗号は放送され、アプヴェーアは国防軍最高司令部(OKW)とカレー方面を防衛する第15軍司令部、西方軍集団総司令部、B軍集団司令部に警告を発する。第15軍は警戒態勢に入ったが、B軍集団麾下でノルマンディー方面を守備する第7軍はなんの連絡も受けなかった。OKWで連絡を受けた作戦部長アルフレート・ヨードル大将は陸軍参謀本部の第三課長レンネ大佐に警告の件を伝えたが、レンネ大佐は格別な措置をとらなかった。

「秋の歌」の最初の部分の録音を聞き終えると、マイヤーはただちに第一五軍の参謀長ルドルフ・ホフマン少将に報告した。「暗号の第一部が発せられました。どうやら何かが始まりそうです」と彼は言った。— コーネリアス・ライアン『史上最大の作戦』62ページ

6月5日、ドイツ時間午後9時15分、「秋の歌」第一節の後半「身にしみて ひたぶるに うら悲し」はアプヴェーアによって傍受される。これはやはりSOE発の「放送された日の夜半から48時間以内に上陸は開始される」との暗号で、アプヴェーアは直ちに関係する各部隊へ警報を発したが、「史上最大の作戦」の著者コーネリアス・ライアンも「謎」としているように、各部隊は表立った対応をとらなかった。西方軍集団司令部参謀長ギュンター・ブルーメントリット大将は「商業ラジオで作戦を予告する軍司令部など、この世にあるはずがない」と、この情報を無視した。シュタウブヴァッセルも別ルートから情報を得てB軍集団参謀長ハンス・シュパイデル中将に連絡した。しかしシュパイデル中将も情報を重視せず、西方軍集団司令部に相談せよと言ったのみであった。シュタウブヴァッセルは西方軍集団司令部に連絡したが「第7軍への警戒指令は必要ない」と連絡された。またしても、警戒態勢をとったのはカレー方面に展開した第15軍のみであったが、上級司令部に通報を行わなかった。

 

上陸部隊

戦艦ネバダからの艦砲射撃

イギリスのモントゴメリー将軍の総指揮の下、西から順にブラッドレー将軍指揮のアメリカ軍担当の「ユタ」(第4歩兵師団コリンズ将軍指揮)・「オマハ」(第1歩兵師団ゲロウ将軍指揮)、デンプシー将軍指揮のイギリス軍担当の「ゴールド」(第50歩兵師団ブックノール将軍指揮)・「ジュノー」(カナダ第3歩兵師団)・「ソード」(第3歩兵師団)の5つの管区に分けられた。

航空機の爆撃・艦船からの艦砲射撃・空挺部隊降下の支援の下、水陸両用戦車を配備した第一次上陸隊が橋頭堡を確保し、第二次上陸隊以降が突破口を広げる計画が立てられていた。そして1944年6月6日午前6時30分、5つの管区で一斉に上陸を開始し、上記のドイツ軍の防衛態度の意見の混乱から、オマハ以外では犠牲を少数にとどめ上陸を果たした。

 

オマハ・ビーチ

上陸用舟艇内の兵士達

オマハ・ビーチにおいては米第1歩兵師団が最悪の苦難を経験した。ここでは他の海岸に比べ特殊装甲車両の装備が少なく、さらにオマハに割り当てられた水陸両用戦車27両の多くは高潮の影響で次々と浸水し、海岸に到着する前にほとんどが失われた。更に、上陸用舟艇10隻も戦わずに沈没するハプニングに見舞われている。

ドイツのSボートの出現に備えるイギリス海軍の高速魚雷艇

しかも連合軍にとって悪いことに、当初海岸に配備されていたドイツ側の守備隊は二線級の第716歩兵師団と予測されていたが、実際は東部戦線における激戦の戦闘経験を持つ第352歩兵師団であった。第352歩兵師団は連合軍の知らぬ間にオマハ正面へ布陣しており、その火点の多くが事前の航空爆撃や艦砲射撃にも生き残り、上陸部隊を猛烈に攻撃していた。

彼らは海岸を見下ろす険しい崖の上を拠点とした。公式記録は次のように述べる。

「上陸10分以内に(先導)部隊は指揮官を失い活動能力を失った。指揮をとる全ての士官および下士官は戦死または負傷した。……それは生存と救助のための闘争となった」

上陸部隊の第一波は独軍守備隊の抵抗により海岸へ釘付けとなり、死傷者が続出。そこへ第二波以降の部隊が次々に詰め掛け、海岸線はパニックに陥った。その光景はさながら、地獄絵図そのものであった。

多大の犠牲を払いながらも、連合軍は午後1時頃には防衛戦を突破。夕刻までには1・5キロメートルほど内陸へ進出した。

2500名とも、4000名とも言われる、多数の死傷者が出たが、それにもかかわらず生存者達は再編成され内陸に進撃した。死傷率が一番高かったので「ブラッディ(血まみれの)・オマハ」と呼ばれている。

オック岬のドイツ軍コンクリート要塞は米第2レンジャー大隊の攻撃目標であった。彼らの任務は敵の砲火の下ロープと梯子を用いて高さ約30mの崖を登り、ユタとオマハを射程とした要塞内の砲を破壊することであった。部隊は到達に成功し、おそらく前日の爆撃中に移動された砲は見つかり破壊された。上陸部隊の死傷者の割合はほぼ50パーセントだった。

第2歩兵師団 戦闘後の揚陸(オマハ・ビーチ)

 

 

ドキュメンタリー カラー ノルマンディー上陸作戦

 

 

 

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