1947(昭和22)年6月24日に、アメリカで初めてUFOが目撃されたとの記録があることにちなんで、UFO研究家たち有志が記念日に制定。
記録によると、
実業家ケネス・アーノルド氏が飛行機で移動中に、時速約2,700kmもの速度で急昇降を繰り返す9機の見慣れない飛行物体を発見したそう。
また、アーノルド氏はこの物体を
flying saucer(空飛ぶ円盤)
と呼びました。
アーノルド氏の空飛ぶ円盤発見情報が記事になり全米で報道されると、同様の目撃証言が相次ぐことに。
これを受けて調査に乗り出したアメリカ空軍は、
UFO (Unidentified Flying Object)/未確認飛行物体
と名づけ、その事実を認める見解を示しました。
が、すぐに目の錯覚の一種であると訂正。そのため、公式的には未だにUFOの存在自体は謎であるとされております。
アメリカ空軍が一時はUFOの存在を認め、すぐに訂正した事実もあり、以後様々な噂や陰謀説などが囁かれるようになっております。
ケネス・アーノルド事件
1947年6月24日にアメリカ人のケネス・アーノルド(Kenneth Arnold)は、アメリカワシントン州のカスケード山脈にあるレーニア山付近の高度2,900メートル上空を自家用飛行機で飛行していた。飛行の目的は前日に消息を絶っていた海兵隊の輸送機の捜索で報奨金5000ドル目当てであった。午後2時59分頃、アーノルドはレーニア山付近の上空を、北から南へ向けて高速で飛行する9個の奇妙な物体を目撃した。物体は鎖のように一直線に繋がっていた。アーノルドは最初ジェット機を目撃したのかと思ったが、物体に尾部は見当たらず、平たい形状で、翼があり、ジェットエンジンの音なども聞こえなかった。
地元アメリカのマスコミはその物体を空飛ぶ円盤 (Flying Saucer) と名付けて大々的に報道し、その後同様の目撃談が相次いで報告された。この事件を受け、アメリカFBI長官のジョン・エドガー・フーヴァーは直後の6月30日にUFOの目撃例を調査するプロジェクトを発足させた。
アーノルドはその飛行体が2点間の距離を飛ぶ速度を計測しており、その結果は1947年当時の技術では考えられない時速1700マイルというものであった。
しかしアーノルドは40キロメートルほど先に見えた物体を15メートルから20メートルの大きさと報告し、その特徴もはっきり分かったと述べているが、40キロメートル先の物の細部まで観察するのはいかに視力が良くても困難なこと(20メートル先においた1円玉の模様を判別するに等しい事)であり、熟練したパイロットであっても距離感を掴み損ねることは珍しくないことなどから、集団飛行する鳥か、観測用の気球を見間違えたのではないかという懐疑的な見方も出ている。
デビッド・ジョンソンの追跡調査
1947年7月6日、日刊紙の記者であったデビッド・ジョンソンは、ケネス・アーノルド事件の追跡調査にあたった。ジョンソンはアーノルドの親友であったため、アーノルドが嘘をつくことはなく彼が見た物体は存在する、と考えていた。その結果、ジョンソン自身も追跡調査中に未確認飛行物体を目撃することになった。
ジョンソンは自家用機を操縦して、ケネス・アーノルドが円盤を目撃した地域にて飛行物体の捜索を行っていたが、そこで「きわめて不規則な動きをする黒い円型の物体」を目撃した。同時刻、観測用気球は放球されていなかったことを確かめたジョンソンはカメラを持ち飛行物体に近づいた。すると飛行物体はゆっくりと横転を始め、その動作が終わらないうちに瞬時に姿を消した。ジョンソンは物体をカメラで撮影しようと試みたが、結果的に何の姿も撮影されていなかった。
調査により、この地域付近の飛行場にいた職員数名もジョンソンと同様に、黒い円盤形の飛行物体を目撃していたことが判明した。後日、ユナイテッド航空の機長も、同じ空域で同様の物体を目撃している。アメリカ空軍のプロジェクトブルーブック(Project Blue Book)がこの事件の調査にあたったが、ジョンソンが証言通りの物体を目撃したことは間違いないという結論に至った。
【UFO】空飛ぶ円盤を世界に認知させた、ケネス・アーノルド事件とは!?