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7月20日今日は何の日?:月面着陸の日

投稿日:

1969年(昭和44年)のこの日、7月16日に打ち上げられたアメリカ有人宇宙飛行船「アポロ11号」が月面の「静かの海」に着陸し、人類が初めて月面に降り立った(日本時間では7月21日早朝)。

搭乗員は、

左から

  • ニール・アームストロング
    :船長
  • バズ・オルドリン
    :月着陸船操縦士
  • マイケル・コリンズ
    :司令船操縦士

の3人で、最初に月面を歩いたニール・アームストロング船長は、

これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である

とのメッセージを発信。

アポロ11号の動向は世界同時衛星生中継されており、このアームストロング船長の言葉に世界中が熱狂と興奮に包まれました。

ちなみに、マイケル・コリンズ司令船操縦士は、月周回軌道上で司令船の操縦や、月面写真撮影などの重要任務を行なっていたため、月面に足跡を残すことは出来なかったことも話題となりました。

アポロ11号が月面に着陸し、人類が初めて月面を歩いたことにちなんで、7月20日は

月面着陸の日

として記念日に制定されております。

 

アポロ11号ミッション

1969年7月16日午前9時32分(米国東部夏時間)、ニール・アームストロング、マイケル・コリンズ、バズ・オルドリンの3名の宇宙飛行士を乗せたアポロ11号を搭載して、ケネディ宇宙センターの39A発射台から飛び立つサターンV

発射と月軌道までの飛行

推定で100万人の観衆が発射場の近辺の幹線道路や海岸からアポロ11号の打ち上げを見ていた。観衆の中には、アメリカ陸軍参謀総長のウィリアム・ウェストモーランド大将、4名の閣僚、19名の州知事、40名の市長、60名の大使、200名の合衆国議会議員などのお偉方もいた。スピロ・アグニュー副大統領はリンドン・ジョンソン前大統領およびレディ・バード・ジョンソン同夫人とともに打ち上げの様子を眺めた。現地には約3,500人の報道関係者が集まった。そのうちのおよそ3分の2はアメリカ国内から、残りはその他の55の国々から来ていた。打ち上げは33か国でテレビ中継され、アメリカ国内だけでも視聴者は推定で2,500万人に上った。さらに世界中で数百万の人々がラジオ放送を聴いていた。リチャード・ニクソン大統領は、NASAの連絡担当官だったアポロ宇宙飛行士のフランク・ボーマンとともに、ホワイトハウスの執務室から打ち上げの様子を見守った。

1969年7月16日13:32:00 UTC(午前9時32分00秒 EDT)、サターンV AS-506はアポロ11号を搭載して、ケネディ宇宙センターの39A発射台から発射された。発射の12分後には、高度98.9海里(183.2キロ)から100.4海里(185.9キロ)の辺りで、地球を周回する軌道に入った。地球を一周半したあと、第三段エンジンS-IVBを点火、16:22:13(UTC)に月遷移軌道投入(Trans-lunar injection、TLI)し、宇宙船は月へと向かう軌道に乗せられた。それから約30分後、左側の操縦席についたコリンズ司令船操縦士の操作で、トランスポジション、ドッキング、エクストラクションと呼ばれる一連の動作を実行した。すなわち、使い切った第三段ロケットS-IVBから司令・機械船(CSM)を切り離し、船の向きを反転させて、第三段に取りつけられた状態の月着陸船(LM)とドッキングし、ロケットから着陸船を取り出した。その後、合体した宇宙船は月に向かう針路をとる一方、他方の第三段は月を通過する弾道を描くように飛行した。これは第三段ロケットがアポロ宇宙船や地球や月に衝突するのを回避するために取られた措置であった。月の周りを通過することで生じたスリングショット効果により、第三段S-IVBは太陽周回軌道に入った。

7月19日17:21:50(UTC)にアポロ11号は月の裏側を通過して機械船の推進エンジンを点火し、月周回軌道に入った。続いて、月を30周するうち、飛行士たちはサビンDクレーターから南西に約12マイル(19キロ)の辺りに位置する静かの海南部の着陸地点の過ぎゆく景色を目にした。この着陸地点はある程度あらかじめ選定されていたのだが、それは無人探査機レインジャー8号とサーベイヤー5号による先行調査や、月周回衛星ルナ・オービターが撮影した月面写真により、その比較的平坦で滑らかな地形が着陸や船外活動(EVA)を行うのに大きな支障はないだろうと判断されたためであった。着陸予定地点はサーベイヤー5号の着陸地点から南東に25キロほど、レインジャー8号の衝突地点から68キロの辺りにあった。

 

月への降下

着陸船「イーグル」から撮影された月周回軌道上の司令船「コロンビア」

7月20日12:52:00(UTC)にアームストロングとオルドリンは着陸船「イーグル」に乗り込み、月への降下に向けた最終準備に取りかかった。17:44:00に「イーグル」は司令船「コロンビア」から切り離された。「コロンビア」に1人残ったコリンズは、機体をゆっくりと爪先回転(ピルエット)させる着陸船「イーグル」に損傷がないこと、ならびに着陸装置が正常に展開されたことを確認した。アームストロングは “The Eagle has wings!” (「イーグル」には翼がある!)と叫んだ。

降下を開始してしばらくすると、アームストロングとオルドリンは月面上の目標地点を通り過ぎるのが2、3秒早いことに気づき、射程領域(ダウンレンジ)がやや長いようだと地上に報告した。つまり、このままでは着陸目標よりも西に数マイル先の地点に着陸してしまうことを示していた。「イーグル」はあまりにも速く飛びすぎていたのである。その原因は高い質量集中にあって宇宙船の軌道が変化したのではないかと考えられた。飛行主任のジーン・クランツは、ドッキングトンネル内の余分な空気圧が原因ではないかと推論した。あるいは、機体の損傷チェック時に行われた「イーグル」の爪先回転飛行が原因となった可能性も考えられた。

「コロンビア」から撮影された月周回軌道上の「イーグル」

降下のためのエンジン噴射に入る5分前、月面から高度6,000フィート(1,800メートル)で、着陸船の航法・誘導コンピュータ(LM guidance computer、LGC)が予期しない警報 “1201” と “1202” を幾度か発し、飛行士の注意を逸らせた。そのとき、ミッション管制センター内にいたコンピュータ技師のジャック・ガーマンは、誘導官(Guidance Officer)のスティーブ・ベイルズにそのまま降下を続けても安全であることを告げ、飛行士たちにも中継して伝えられた。これらの警報は “executive overflows” (実行オーバーフロー)を示しており、誘導コンピュータが過負荷状態にあって要求されたすべてのタスクの処理をリアルタイムで完了できず、そのうちのいくつかを遅延させなければならない状態にあることを意味していた。マサチューセッツ工科大学チャールズ・スターク・ドレイパー研究所でアポロ飛行コンピュータのプログラミング責任者(Director of Apollo Flight Computer Programming)を務めたマーガレット・ハミルトンは、当時を思い出して次のように語った。「コロンビア」から撮影された月周回軌道上の「イーグル」アポロ11号のその問題に関してコンピュータを責めることは、火災を発見して消防に通報する人を責めるようなものです。実際、コンピュータはエラー状態を認識する以上のことをするようにプログラムされていました。ソフトウェアには回復プログラム一式が組み込まれていたのです。ソフトウェアの動作としては、この場合、優先度の低いタスクを除外して、より重要なものを再構築することでした。コンピュータは、もう少しのところで(着陸の)中止を強制したというよりも、むしろ中止を阻止したといえます。もしもコンピュータがこの問題を認識できずに回復動作をとらなかったら、アポロ11号の月への着陸が上手くいったかどうか、疑わしいと思います。

飛行中のアポロ11号と交信するCAPCOMのチャールズ・デュークとジェームズ・ラヴェル、フレッド・ヘイズ

ミッション中には、司令船とのランデブー用のレーダーのスイッチが誤った位置にあり、月着陸船のコンピュータにランデブー用レーダーと着陸用レーダーの両方から送られてきたデータを同時に処理させようとしたことが原因だと診断された。ソフトウェア技師のドン・アイルズは、2005年の誘導制御会議(Guidance and Control Conference)で発表した論文の中で、この問題は以前アポロ5号で最初の無人月着陸船をテストしている最中に見られたハードウェア設計上の欠陥に原因があると結論づけた。(緊急時着陸中止という万が一の事態に備えて)ランデブー用レーダーをオンにしておくことはコンピュータとは関係ないはずだったが、無作為なハードウェアの電源の入れ方次第では、ランデブーレーダーシステムの2つの部品の間に生じる電気的位相の不整合により、コンピュータに対して固定型アンテナが2つのポジションの間を前後にディザリングするように見えることがある。ランデブー用レーダーがインボランタリカウンタを更新すると、余分な疑似サイクルスチールにより、コンピュータは警告を発する。

 

着陸

アームストロングが再び窓の外に目をやると、コンピュータがはじき出した着陸目標が直径300フィート(91メートル)ほどもあるクレーター]のすぐ北と東の巨岩がいくつも転がっている領域にあるのが見えたため、アームストロングは操縦を半自動に切り替えた。アームストロングはその岩石原の手前に着陸すればそこから地質試料を採取しに行けるかもしれないと考えたが、宇宙船の水平方向速度が速すぎたためできなかった。降下している間、オルドリンはずっと、着陸船の操縦で多忙なアームストロングに航法データを読み上げ続けた。月面からの高度107フィート(33メートル)まで降下したとき、アームストロングは推進剤の供給が徐々に減少してきていることを知り、最初の着陸候補地点に着陸することに決めた。

アームストロングは開けた月面の一画を見つけ、機動的に宇宙船をそちらへ向かわせた。だんだんと近づいて行くと、高度250フィート(76メートル)のところで、その新しく決めた着陸地点にクレーターがあることを発見した。アームストロングはクレーターを視界にはっきりととらえながら、別の一画の平地を見つけた。高度100フィート(30メートル)まで来て、推進剤の量は残りわずか90秒分まで減っていた。さらに、着陸船のエンジンによって巻き上げられた月の砂塵が、宇宙船の動きを決定するアームストロングの判断力を鈍らせた。もうもうと立ち込める砂塵の中から突き出たいくつもの大きな岩に焦点を絞ることで、アームストロングは降下中の宇宙船の速度を判断することができた。

着陸の直前、「イーグル」の脚部から吊り下がっていた、長さ67インチ(170センチ)の探針のうちの少なくとも1本が月面に接地したことを示すライトが点灯した。それを知ったオルドリンは「着地灯、点灯!」と声に出して確認した。技師たちは、着陸時にエンジンを噴射させたまま月面に接近しすぎると排気ガスの圧力(背圧)でエンジンが吹き飛ぶかもしれないと危惧していたため、アームストロングはただちにエンジンを切ることになっていたが、忘れてしまった。3秒後に「イーグル」が着陸し、アームストロングはエンジンを切った。オルドリンは即座に「OK、エンジン停止。ACA解放」と言葉を発し、それを受けてアームストロングは「ACA解放了解。自動」と復唱した。続けてオルドリンは「モード制御、両方とも自動。下降段エンジンの指令重複、オフ。エンジンアーム、オフ。413に接続」と確認した。

ACAとは、姿勢制御装置(attitude control assembly)のことで、具体的には月着陸船の操縦桿のことである。その出力は着陸船の誘導コンピュータ(LGC)に伝えられ、姿勢制御システム(reaction control system、RCS)にエンジン噴射の命令を出す。「解放」とは、中央のポジションから動かされていた操縦桿が(車の方向指示器のように)バネの力で元の中央のポジションに戻されたことを意味する。LGCのアドレス413は、月着陸船が着陸したことを示す変数を含んでいた。

「イーグル」は7月20日、日曜日の20:17:40(UTC)に25秒分の燃料を残して着陸した。アポロ11号は後継のミッションよりも残りの燃料が少ない状態で着陸し、飛行士たちは早い段階から燃料残量警告表示に直面することになった。これはのちに、燃料タンク内で推進剤が想定以上に大きく揺れ動き(スロッシング)、燃料計の値が実際よりも少なく表示されていた結果であることが分かった。そのため、次回以降のミッションでは、これを抑える抑流板がタンク内に追加設置されることになった。

アームストロングは、オルドリンが「エンジンアームはオフ」と言って、着陸後のチェックリストをつける作業が一通り完了したのを確認して、CAPCOMのチャールズ・デュークに

“Houston, Tranquility Base here. The Eagle has landed.” (「ヒューストン、こちら静かの基地。鷲は舞い降りた」)

と言葉を発した。アームストロングがコールサインを「イーグル」から予行演習にはなかった「静かの基地(Tranquility Base)」に変更したことで、着陸を完遂して成功したことが強調されて聴取者たちに伝えられた。それを聞いたデュークは、ミッション管制センターにいた人たちの安堵の気持ちを表し、 “Roger, Twan— Tranquility, we copy you on the ground. You got a bunch of guys about to turn blue. We’re breathing again. Thanks a lot.” (「了解、トゥワン……トゥランキリティ(「静か」の意)。月面にいる君たちの声、よく聞こえるよ。君らのおかげでたくさんの奴らが真っ青になりそうだった。ため息をついている。どうもありがとう」)と、一瞬言い淀みながらも応答した。

 

月面での活動

船外活動の準備は20日23:43に始まった。準備は2時間で済むはずのところ、3時間半と想定よりも長くかかった。地球上での訓練中には、必要とされるものはすべて前もってきちんと並べられていたが、月では、チェックリスト、食料の入った小包、用具のほかにも多くのものが船室内にあった。アームストロングとオルドリンの外に出る準備が整うと、「イーグル」は減圧された。02:39:33にハッチが開いた。初め、アームストロングは船外活動用の生命維持装置(PLSS)を身に着けたままハッチを通り抜けようとする際にいくぶん苦労を要した。アポロ宇宙飛行士たちの心拍数は月着陸船のハッチを出入りするときに最高値を記録することがよくあった。02:51にアームストロングは月面へと降り始めた。胸の位置にある遠隔操作ユニット(RCU)のせいで、アームストロングは自分の足元が見えなかった。9段のはしごを降りながら、アームストロングはDの字型のリングを引いて、「イーグル」の側面に折り畳まれていたモジュール装置格納アセンブリ(Modular Equipment Stowage Assembly、MESA:器具収納部)を展開してテレビカメラを起動した。

アポロ11号では、放送用のテレビジョン規格と互換性のない低速度走査テレビジョンが使用されたため、一度特殊なモニタに映像を表示させておき、そのモニタの映像を従来型のテレビカメラで撮影することで本放送されたが、その画質は著しく低減されることとなった。テレビジョン信号はアメリカのゴールドストーンで受信されていたが、オーストラリアのキャンベラ近郊にあるハニーサックル・クリーク追跡基地が受信した信号のほうが忠実度が高くて鮮明だった。数分後、通信の中継基地は、より感度が良好なオーストラリアのパークス電波望遠鏡に切り替えられた。幾多の技術的困難と天候不順があったにもかかわらず、史上初の月面での船外活動をとらえた、ぼんやりとした白黒の映像が地球上で受信され、世界中の少なくとも6億人の人々に向けて放送された。この放送形式のビデオの複製物は保存されており、広く入手することが可能だが、低速度走査テレビカメラで撮影されて月から伝送された元の高画質の録画映像は、NASAの日常業務で磁気テープを再利用しているうちに誤って破損されてしまったようである。

アームストロングは、はしごにかけたまま、月着陸船の下降段につけられていた(西半球と東半球の)2つの地球の図と銘刻、および3名の飛行士とニクソン大統領の署名が描かれた記念銘板を除幕した。記念銘板には次の文章が刻印されていた。

Here men from the planet Earth first set foot upon the Moon, July 1969 A.D. We came in peace for all mankind.(西暦一九六九年七月、惑星地球より来たる人類、ここ月面に降り立つ。我ら全人類の平和のために来たれり。)

月の表面の塵について「とてもきめの細かい」「ほとんど粉のよう」と説明したあと、着陸から6時間半が経とうとしていた02:56:15にアームストロングは「イーグル」の脚を支えている皿の上に降り立ち、次のように宣言した。

これは人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な跳躍だ。

That’s one small step for [a] man, one giant leap for mankind.

月のレゴリスの特性を調べる実験の一環で付けられたオルドリンの靴跡
月面に立てた星条旗に敬礼するオルドリン
受動型地震計実験装置(写真中央)の隣に立つオルドリン(同左)と「イーグル」(同右奥)

 

帰還

司令船「コロンビア」に接近してくる「イーグル」の上昇段

7月21日21:24(UTC)に「イーグル」は「コロンビア」とランデブーし、21:35に2機はドッキングした。「イーグル」の上昇段は23:41に月周回軌道に投棄された。アポロ12号の飛行の直前には、「イーグル」は依然として軌道上に留まっているようであることが確認されたが、のちに出されたNASAの報告書には、「イーグル」は軌道が次第に減衰した結果、月面の「不確かな場所」(”uncertain location”)に衝突したのだろうと記されている。

7月22日04:56(UTC)にアポロ11号は機械船の推進エンジンを2分半噴射して月周回軌道を離れ、同日05:30(UTC)に月の裏側で地球帰還軌道に乗り、地球への帰路に就いた。

 

アポロ11号月面着陸50年

 

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