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9月11日今日は何の日?:9.11 アメリカ同時多発テロ事件が発生

投稿日:

最上段:旅客機の衝突で炎上するワールドトレードセンター
2段目左:ペンタゴンに突入した痕跡
2段目右:2機目の旅客機が激突し爆発炎上するワールドトレードセンター
3段目左:崩壊後のワールドトレードセンターと生存者の救出活動を行う消防士
3段目右:ユナイテッド航空93便の残骸
最下段:ペンタゴンに突入する瞬間を捉えた映像のコマ

 

現地時間2001(平成13)年9月11日、世界中に大きな衝撃と脅威を与えた

アメリカ同時多発テロ事件

が発生しました…。

簡易時系列

am8:46 世界貿易センタービルWTC・北棟に飛行機が激突

アメリカ・ニューヨークの超高層双子タワー・世界貿易センターWTCビルの北棟に、ハイジャックされたアメリカン航空11便が激突

am9:03 WTC・南棟に飛行機が激突

ハイジャックされたユナイテッド航空175便がWTC・南棟に激突

am9:37 国防総省に飛行機が激突

ハイジャックされたアメリカン航空77便がアメリカ国防総省ペンタゴンに突入

am9:58 WTC・南棟が崩壊

ハイジャック機に激突されたWTC・南棟の崩壊が始まる

am10:03 ハイジャック機が墜落

ハイジャックされたユナイテッド航空93便がペンシルベニア州に墜落

am10:28 WTC・北棟が崩壊

ハイジャック機に激突されたWTC・北棟の崩壊が始まる

イスラム過激派テロ組織・アルカイダと目される総勢19人のテロリストによって引き起こされた前代未聞のハイジャックテロは、

  • 犠牲者
    :約3,000人
  • 負傷者
    :約6,000人以上

もの被害を出し、世界中に大きな衝撃と脅威を与えました。

また、この同時多発テロは、国際テロ組織の脅威が世界的に認識された側面も持ち合わせております。

001(平成13)年9月11日に起きた前代未聞の

アメリカ同時多発テロ事件

では、特に被害の大きかったニューヨーク・ワールドトーレードセンターで

救助活動を行っていた多くの消防士も犠牲となる…

など、人的被害だけでも甚大なものとなりました…。

これらを踏まえ、同時多発テロ事件で犠牲となった全ての方々への追悼の意を表して、9月11日は

愛国者の日

となっており、世界中で黙祷が捧げられております。

 

9.11 アメリカ同時多発テロ事件

ハイジャックされた旅客機

2001年9月11日朝(現地時間)、マサチューセッツ州ボストン、バージニア州ダレス(ワシントンD.C.近郊)、ニュージャージー州ニューアークを発った4機の旅客機が、モハメド・アタを中心とするアラブ系のグループによってほぼ同時にハイジャックされた。彼らは操縦室に侵入し、パイロットを殺害した後、自ら操縦して、2機(アメリカン航空11便、ユナイテッド航空175便)をニューヨーク・マンハッタンへ、残り2機(アメリカン航空77便、ユナイテッド航空93便)をワシントンD.C.へ向かわせた。

なお、乗っ取られた4機のうち2機がアメリカ合衆国のボーイング社製のボーイング767型機で、残りの2機がボーイング757型機である。この2種類の機体は、運行する航空会社のパイロットに互換性を持たせるために、コックピットの操縦システムは基本的に同じ物が使われており、いずれも2人のみで操縦できるため、意図してこれらの機体が運行されている便が選択されハイジャックされたと考えられている。

また、実行犯のリーダー、モハメド・アタをはじめとする一部のハイジャック犯たちは、アメリカ合衆国国内にある民間の航空学校=ホフマン飛行機学校で小型機の自家用操縦免許を取得した後に、これらの機体の操縦方法を事前にフライトシミュレータで訓練していたことが明らかになっている。

これら4機がいずれも北米大陸横断ルートという、アメリカ合衆国国内線の中では長距離飛行に入るルートを飛行する便であったのは、長距離便のために燃料積載量が多く、衝突後の延焼規模を多くすることを狙ったと推測する者もいる。なお、ハイジャックされて激突・墜落させられた旅客機の乗客・乗員は全員死亡している。

 

ワールドトレードセンター(WTC)

ユナイテッド航空175便がツインタワー南棟に突入した瞬間

午前8時46分40秒、ハイジャックされたアメリカン航空11便がワールドトレードセンター北棟 (1 WTC)の北面に突入した。旅客機は北棟の93階–99階を切り裂くように衝突し、数百人が即死した。11便に搭載されていたジェット燃料によって北棟の高層階では爆発的な火災が起こり、引火した燃料がエレベーターシャフトを通じて落下したことで地上ロビーのような低層階でも爆発が発生した。

衝突から10分が経たないうちに、火災と黒煙は上層階に広がり始めた。8時52分には、熱と煙、炎による耐え難い苦痛により、高層階から飛び降りる人々も現れた。この時点では、北棟への航空機の突入は(テロ攻撃ではなく)事故であるとの見方が大勢を占めていた。当時の大統領ジョージ・W・ブッシュも第一報を受けて「これはパイロットエラーによる事故だ」と発言した。

午前9時02分59秒、ハイジャックされたユナイテッド航空175便がワールドトレードセンター南棟(2 WTC)の南面に突入し、南棟は爆発炎上した。航空機は機体を傾けながら77階–85階にかけて衝突しており、78階のスカイロビーで避難のためエレベーターを待っていた数百人の多くが即死、または重傷を負った。この衝突によって南棟が負った構造的ダメージは、北棟と比較してより深刻だった。2機目のジェット機が南棟に衝突した瞬間は多数のカメラによって捉えられた。この時点で、一連の出来事が事故ではなく故意に起こされた攻撃であることが広く認識された。

午前9時37分、ペンタゴンにハイジャックされた旅客機(アメリカン航空77便)が突入した。9時42分、連邦航空局(FAA)はアメリカ合衆国大陸部内のすべての民間航空機を離陸禁止とし、すでに飛行中の民間機にはただちに着陸するよう指示した。

午前9時59分、ユナイテッド航空175便の突入から56分後、ワールドトレードセンター南棟が崩壊し。その直後の10時03分11秒、ハイジャックされたユナイテッド航空93便がペンシルベニア州で墜落した。10時28分、アメリカン航空11便の突入から102分後、南棟に続きワールドトレードセンター北棟が崩壊した。

ワールドトレードセンターのツインタワーは、航空機の衝突による大規模な構造的ダメージに加え、ジェット燃料が引き起こした火災の熱で構造部材(鉄骨柱・床トラス部材等)の強度が著しく低下したことで崩壊したと考えられている。アメリカ国立標準技術研究所の報告書によれば、火災によるダメージは(ジェット燃料ではなく)主にオフィス内の可燃物によるものであり、それらの可燃物が火災を増長しなければ、ツインタワーは崩壊を免れていた可能性がある。ツインタワーは、建設当時に世界最大のジェット旅客機であったボーイング707が突入しても崩壊しないよう設計されていたが、漏れ出したジェット燃料とそれによる大規模火災の影響は設計上考慮されていなかった。

北棟の崩壊時、瓦礫が隣接する7 ワールドトレードセンタービル(7 WTC)に降り注ぎ、7 ワールドトレードセンターは損傷、さらに火災が発生した。火災が数時間にわたって持続したことにより、ビルの構造的健全性は失われた。午後5時21分、7 ワールドトレードセンターは倒壊した。各旅客機のツインタワー両棟への突入の様子

7 WTC以外にも、ワールドトレードセンター・コンプレックスと周辺の多くのビルが壊滅的な被害を受けた。全壊した施設には聖ニコラス聖堂も含まれていた。1 WTC(北棟)、2 WTC(南棟)と同様に、3 WTC(マリオット・ワールドトレードセンター)と7 WTCは跡形もなく破壊された。4 WTC、5 WTC、6 WTC(合衆国税関ビル)、ウエスト・ストリートを渡る2つの横断歩道橋は激しく損壊した。リバティ・ストリートを隔てたドイツ銀行ビルは部分的に損壊し、2007年より始まった解体作業で取り壊された。ウエスト・ストリートを隔てたワールドフィナンシャルセンターの2棟のビルもダメージを被った。ワールドトレードセンター・コンプレックスの地下にはPATHトレインのワールド・トレード・センター駅が位置していた。ツインタワーの崩壊時、この駅は完全に破壊され、この駅からハドソン川の下を通ってニュージャージー州ジャージーシティのエクスチェンジ・プレイス駅へ向かうトンネルも水没した。

北棟の崩壊により、北棟の屋上に設置されていた通信アンテナも破壊された。一時的に多くのTV局・ラジオ局の放送が断絶したが(WCBS-TVのみがエンパイアステートビルにバックアップ用の通信装置を持っていた)、それらの放送局はすぐに別ルートでの通信を確立し、放送を再開することができた。ワールドトレードセンターの敷地における火災は、テロ事件から100日後の12月20日にようやく鎮火された。この事件以降、ワールドトレードセンター・コンプレックス跡地は「グラウンド・ゼロ」や「ワールドトレードセンター・サイト(跡地)」とも呼ばれている。

 

国防総省本庁舎(ペンタゴン)

アメリカン航空77便が国防総省本庁舎に突入した瞬間の映像
炎上する国防総省本庁舎と突入したアメリカン航空77便の破片

午前9時37分45秒、ハイジャックされたアメリカン航空77便(ボーイング757)が、バージニア州アーリントン郡のアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に突入した。アメリカン77便はビルの西壁に衝突して爆発炎上し、77便の乗客・乗員全員が死亡したほか、ペンタゴンに居た125人の国防総省職員(民間人70人、軍関係者55人)が死亡、106人が重傷を負った。

77便の衝突と続いて発生した火災によってペンタゴンは激しく損傷し、ビルは部分的に倒壊した。ペンタゴンに突入する直前、旅客機の翼は地上の街灯をなぎ倒し、さらに発電機に接触した。77便はペンタゴン西側外壁の1階部分に激突したが、衝突の瞬間にボーイング757の胴体前部はバラバラになり、その後一瞬のうちに機体中央部と尾翼部が勢いを保ったまま外壁を突き抜けた。最も深くまで到達したのは尾翼部の破片であり、5層ある外壁のうち3層を突き破り、94m内側まで貫通していた。その後10時10分には、衝突で損傷したビルの一部分が倒壊した。ビルの倒壊部分は最大で幅29m、奥行き15mにわたった。77便の衝突からビルの崩壊まで時間的猶予があったため、4-5階に居た職員は全員が安全に避難することができた。旅客機の突入時、ペンタゴンでは約1万8,000人が働いていたが、この数字は1998年に始まった改修工事によって通常より4,000人ほど少なかった。

この直前に起きたワールドトレードセンター・ツインタワーへの他の飛行機の突入の影響で情報は錯綜し、最初の報道は単にペンタゴンが爆発炎上したというだけであったが、後に付近を通行中のドライバーや歩行者によってアメリカン航空機が北側から旋回して激突したとの目撃が証言され報じられた。さらに激突の瞬間の映像がペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録され、すぐにFBIによって回収、捜査された。

 

アメリカ政府首脳の動き

大統領専用機内でチェイニー副大統領との連絡を行うブッシュ大統領

ジョージ・W・ブッシュ大統領はフロリダ州におり、同州サラソータにあるエマ・E・ブッカー小学校の授業を視察する予定だった。1機目のツインタワー攻撃の際には小学校へ向かう専用車の車中にいたが、このときは単なる航空事故だと考えていたとされる。ただし、一時的にホワイトハウスとの間で電話会議が行われた。また補佐官ら周辺も同じように事故と考え、予定通り小学校へ入った。エマ・E・ブッカー小学校で連絡を行うブッシュ大統領大統領専用機内でチェイニー副大統領との連絡を行うブッシュ大統領

エマ・E・ブッカー小学校で連絡を行うブッシュ大統領

授業視察中に2機目のツインタワー突入があり、数分後、ブッシュ大統領がアンドリュー・カード首席補佐官から2機目の突入と「合衆国が攻撃されている可能性がある」との報告を受けたが、ブッシュは「無駄な動揺を与えないために」との理由ですぐに動かずに7分間、小学生の朗読を聞き続けていた。朗読が終わるとブッシュ大統領は小学生を褒め、ただちに隣室で補佐官と話し、電話でコンドリーザ・ライス国家安全保障担当補佐官と州知事に連絡した。その後、テレビカメラで「アメリカが攻撃を受けた」と小学生の前で国民へ呼びかけ、9時30分頃に小学校から車列とともに出発、3マイルのところにある空港へ向かった。

9時55分に、即座にエンジンのかかった大統領専用機「VC-25」が離陸(護衛の戦闘機はなし)した時点で、国内上空には未だに連絡の取れない旅客機が11機あったが、管制の指示で地上に降ろし、国内空域は大統領専用機と哨戒機だけになった。管制は専用機に「行先を告げずに好きに飛んでいい」と指示したが、当時専用機からは生の声明発表ができなかったため、一度ルイジアナ州バークスデール空軍基地に立ち寄り、国民に向けた声明発表を行った。その後、ネブラスカ州オファット空軍基地で事態の沈静化を待ち、夕刻にメリーランド州アンドルーズ空軍基地経由でワシントンD.C.へ帰還した。専用機は通常、国内でのフライトでは戦闘機の護衛を受けないが、この日のオファット基地からアンドルーズ基地へのフライトでは、国内では初めてゼネラル・ダイナミクスF-16戦闘機の護衛を受けて飛行している。

ホワイトハウスではリチャード・チェイニー副大統領らが執務を行っていたが、ツインタワーへの2度目の攻撃の直後、シークレットサービスにつれられて、地下6階の地下壕へ避難した。

ドナルド・ラムズフェルド国防長官は上級軍人と朝食をとった後、ペンタゴンの執務室へ入って議員と懇談していた。ラムズフェルド国防長官にツインタワー「攻撃」の知らせが入ったのは、ペンタゴン攻撃のわずか2分前であり、アメリカン航空77便がペンタゴンに向かっていることは知らなかった。また、平時のペンタゴンにはホワイトハウスのような防空装備がない。攻撃の後、ラムズフェルド国防長官が建物の外へ出ると女性職員が血を流して倒れていたため、彼女を抱えて避難し、担架に乗せ救急車が来るまで看病していた。現場から避難したのはその後で、数十分が経過していた。

コリン・パウエル国務長官は、事件当時南アメリカのペルーを実務訪問中であったが、ツインタワーおよびペンタゴンへの攻撃の報告を聞いて、すぐに政府専用機でアメリカ合衆国に帰国した。

なおロシア連邦のウラジーミル・プーチン大統領は、この一報に対し「アメリカ合衆国軍が必要な動員をかけたとしても、直ちにロシア連邦軍に迎撃体制を取らせることはない」とホットラインでブッシュ大統領に告げた。ロシア連邦軍にはアメリカが大規模な動員をかけるとそれに反応するように指揮系統が準備されている。

 

テロの実行者 ウサーマ・ビン・ラーディン

ウサーマ・ビン・ラーディン](1997年撮影)

アメリカ同時多発テロ事件の首謀者は、イスラーム過激派テロ組織「アルカーイダ」の指導者ウサーマ・ビン・ラーディンとされている。当初、ビン・ラーディンは事件への関与を否定していたが、2004年には一転して同時多発テロ事件への関与を公に認めた。

2001年9月16日、アルジャジーラ上でビン・ラーディンによるビデオ声明が放送された。声明の中でビン・ラーディンは、「私は攻撃を実行していないと強調する。攻撃は別の個人によって、彼自身の動機に基づいて実行されたように見える」と述べた。2001年11月、アメリカ軍はアフガニスタン東部のジャラーラーバードで1本のビデオテープを回収した。このテープにはビン・ラーディンと他のアルカイダ構成員との会話が記録されており、その中でビン・ラーディンは同時多発テロを事前に知っていたことを認めていた。

2004年のアメリカ大統領選挙の直前、ビン・ラーディンは新たなビデオ声明を発表し、アルカイダが同時多発テロ事件に関与したことを公式に認め、自らが実行犯にテロ攻撃を指示したことを認めた。 2006年9月にアルジャジーラが入手したビデオテープには、ビン・ラーディンとラムジ・ビン・アル=シブが、2人のハイジャック犯(ハムザ・アル=ガームディーおよびワイル・アル=シェフリ)と共に同時多発テロの準備をしている模様が記録されていた。ビン・ラーディンは、同時多発テロ事件に関してアメリカ政府当局から正式に起訴されたことはなかったが、ケニアの首都ナイロビとタンザニアの首都ダルエスサラームにおけるアメリカ大使館爆破事件に関する容疑でFBI10大最重要指名手配者に指定されていた。

2011年5月2日、10年間の追跡の末に、アメリカ軍特殊部隊はパキスタンのアボッターバードに潜伏していたビン・ラーディンを急襲の上で殺害した。なお、この時の映像は当時のオバマ大統領ら閣僚に生中継された。

September 11th As It Happened: The Definitive Live News Montage

 

 

 

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