1923年(大正12年)のこの日、自動車耐久レースの最高峰、ル・マン24時間レースの第1回大会が、フランス北西部の町ル・マンで開催された。
第1回大会に参加したのは18メーカーで、フランス31台、ベルギーとイギリスから各1台の計33台が出走した。完走したのは30台。優勝したのは、地元フランス人ドライバーが乗るフランス車シュナール・ワルケルで、走行距離は2,209.536km、平均速度は92.064km/hであった。
日本勢は1970年代からマツダがル・マン24時間レースに参戦し、1980年代以降に日産自動車やトヨタ自動車、本田技研工業などが参戦した。1991年(平成3年)に、マツダがロータリーエンジンを搭載したマツダ・787Bで総合優勝した。これが日本車メーカーの初の優勝となった。
2016年(平成28年)、トップを快走していたトヨタは、悲願の初優勝を目前にしていた。しかし、残り3分のところでマシントラブルが発生し、ポルシェに逆転されてしまった。昼夜を通して24時間走り続けるル・マンの過酷なレース現場では、予期せぬトラブルが発生することがあり、「ル・マンには魔物が棲んでいる」との格言がある。
2018年(平成30年)、ついに「TOYOTA GAZOO Racing」(トヨタ・ガズー・レーシング)の中嶋一貴が日本チーム、日本車(トヨタ・TS050 HYBRID)というオールジャパンチームで総合優勝を飾った。さらに、翌2019年(令和元年)にはトヨタが2年連続の総合優勝を果たした。
サーキット
競技はフランス中部にあるル・マン市のサルト・サーキットと呼ばれる全長13kmを超える周回コースで行われる。その2/3は普段は一般道で、レースウィーク中のみ閉鎖される。スタートおよびゴール地点とその周辺は競技専用のブガッティ・サーキットの一部を使用する。なお、オートバイの24時間レースはブガッティ・サーキットのフルコースで行われる。
各コーナーには「テルトル・ルージュ」、「ミュルサンヌ」、「ポルシェカーブ」、「フォードシケイン」などの、レース業界で著名な名称がついている。サルト・サーキットの名物といえば全長6kmに及ぶロングストレート「ユノディエール」であったが、マシンの進歩により1988年には最高速が405km/hに達するなどしたため、危険性を低減させるべく1990年に2箇所のシケインが設けられた。
スケジュール
毎年6月に、1年の内で最も昼の長い夏至の頃に開催される。6月上旬にはサーキットの一般公道部分を閉鎖してテストデーが行われる。
レースウィークは日・月曜日にル・マン旧市街地のリパブリック広場で一般公開の公式車検を行い、水曜日にフリー走行と公式予選1回目、木曜日に公式予選2・3回目を行う。レース中に夜間走行があるため予選も深夜近い時間帯に行われるが、初夏のル・マンは日の入りが22時頃と遅い。日没後には気温が下がり、タイムアタックに適した時間帯となる。金曜日はル・マン市内でドライバーズパレードを行う。
土曜日の午前中にウォームアップ走行を行い、午後3時にスタートフラッグが振られレース開始となる。例年、主催者のフランス西部自動車クラブ (ACO) がスタートフラッグを振る人物を選ぶ。日没後に日曜日を迎え、午前6時に日の出、午後3時に栄光のチェッカーフラッグを受ける。
ル・マン式スタート
1925年大会より用いられたスタート方式は、コース幅の片側に競技車を配置し、ドライバーが車両の反対側からコースを渡るよう駆け寄って乗車する。
「ル・マン式スタート」と呼ばれて他のレースでも採用されたが、シートベルトをきちんと締めないままスタートするドライバーが続出するなど危険であり事故も多く、「初代ミスター・ルマン」ことジャッキー・イクスは身をもって抗議の意を表明した。
1971年は通常のグリッド式スタンディングスタートを採用し、1972年以降は耐久レースでは一般的なローリングスタートを採用している。
歴代の名車
1991/6/23 ル・マン24時間 787B 優勝時日本語実況