1959(昭和34)年6月25日、後楽園球場で行われたプロ野球
巨人 vs 阪神
の第12回戦に、時の昭和天皇と皇后が観戦されました。
日本プロ野球界にとって初となる天覧試合ということもあり試合前から大きな注目を集め、試合当日の観客数は約4万人以上にも上りました。試合は、4-4で迎えた9回裏、
巨人の長嶋茂雄選手がレフトスタンド上段へ叩き込むサヨナラホームランを放つ劇的な幕切れとなりました。
この劇的な幕切れに、昭和天皇・皇后両陛下をはじめ会場に詰めかけたファンのみならず、TVをやラジオ放送を通して日本中が盛り上がり、記憶にも記録にも残る一戦となりました。
プロ野球初の天覧試合
1959年(昭和34年)6月25日(木曜日)、後楽園球場で読売ジャイアンツ(巨人)対大阪タイガース(阪神)第11回戦、いわゆる「伝統の一戦」が天覧試合として催された。昭和天皇並びに香淳皇后が後楽園球場のバックネット裏貴賓席に来場し、19時より試合は開始された。この模様は日本テレビ(解説・南村侑広、実況・越智正典)とNHK総合テレビ(解説・小西得郎、実況・志村正順)にて全国生中継が行われた。なお日本テレビ向けの放送は本来はナイターの場合、20時(午後8時)からの放送であるが、特例的に19時から放送を開始し、ニッカウヰスキーの1社協賛で中継し、当日の新聞広告にも、当時の定時番組スポンサーへの配慮を掲載した。
当日は、関係者は皆緊張しており、例えば、水原円裕巨人監督も朝2度身を清め、口数も少なかったという。
また、当日の後楽園球場では鳴り物応援が禁止されており、球場の雰囲気も普段に比べとても静かであった。
先発投手は巨人が藤田元司、阪神が小山正明とエース同士の対決であった。試合前には両チームの監督・コーチ・選手全員が内野付近に一列で整列し、貴賓席に現れた天皇・皇后に一礼をしてから試合が始まった。
試合は点の取り合いとなり、3回表・阪神が小山自らの適時打で先制点を挙げる。その後5回裏・巨人が長嶋茂雄と坂崎一彦の連続本塁打で逆転すると、6回表・阪神が三宅秀史の適時打と藤本勝巳の本塁打で4 – 2と逆転する。
7回裏・巨人は王貞治の本塁打(4 – 4)で同点に追いつき、阪神は新人・村山実をマウンドに送る。同点のまま9回に入った時には21時を過ぎていたが、天皇・皇后が野球観戦できる時刻は21時15分までであったため、延長戦に突入した場合は天皇は試合結果を見届けられず、途中退席になる可能性があった。
しかしながら、21時12分、9回裏、先頭バッターの長嶋がレフトポールぎりぎりにサヨナラ本塁打を放ち、5 – 4で接戦に終止符を打った。長嶋はこの試合を選手としてもっとも印象的な試合としている。天皇・皇后は試合結果を見届けた上で、球場を後にした。天皇の観戦は、プロ野球が日本を代表する人気プロスポーツとしての地位を得たことを示す契機といえる。
「球趣わく天覧試合 -後楽園-」No.285_1