1966(昭和41)年10月20日に開かれた東京モータショーで、トヨタ自動車が
カローラ
を発表しました。
当時は高速道路の建設が進む中、一般道だけでなく高速道路でもスムーズに走れる大衆車をとの開発理念のもと、
カローラ
- 馬力
:1100cc - 規格
:4速MT - エンジン
:水冷直列4気筒 - 最高出力
:60ps/6000rpm
の性能を持った自動車が誕生。
ちなみに、「カローラ」は、ラテン語で花で作った冠との意味を持ち、トヨタから先行販売されていた
- クラウン
:王冠 - コロナ
:光冠
に次いで「冠」を象徴しており、
花びらが集まって一輪の花となる様を、家族に見立てて付けられた名称となっております。
発売以降多くのファンや人気を集め、開発やモデルチェンジが続くロングヒット車となっております。
初代 E1#型(1966年 – 1970年)
800cc級エントリーモデルのパブリカと、1,500cc級乗用車であるコロナの中間の車種として企画された。主査の長谷川龍雄は、機能主義に徹したパブリカが商業的に成功を収められなかったことへの反省から、大衆ユーザーの上位志向に応じた「デラックス感」のある内外装を備えつつ、「乗る楽しさ=スポーティ性」を追求し、高速道路の整備進展に伴う、十分な高速巡航性能を備える小型大衆車の開発を目論んだ。開発は、様々な面での評価において一定以上の水準を満たし、実用性に嗜好性・高級感を加えるなど、トータルでの高い完成度を追求する「80点主義+α」の思想で展開された。当初から輸出も含めた大量生産が企図され、トヨタは本拠である豊田市内に、カローラ専用の大規模新工場となる高岡工場を建設する。
エンジンは新開発の水冷直列4気筒、ハイカムシャフト方式で5ベアリングのクランクシャフトを用いた1,077ccOHV K型エンジンで、最高出力60PS/6,000rpmであった。5ベアリング式として高回転に備え、前方部分の投影面積をできるだけ小さくするため、エンジンの重心を低くすることを前提にボンネット内にコンパクトに収める目的で、最初からシリンダーヘッド部を正面から見て約20°傾斜させた格好で設計されている。当初は1,000cc車として企画されたが、開発後期に至って日産自動車が1,000ccの競合モデル(のちの初代サニー)を開発中である情報が伝わり、その営業施策における辣腕で「販売の神様」と呼ばれた当時のトヨタ自動車販売社長・神谷正太郎の強い要請で、排気量を急遽1,100cc級に拡大するスペック向上を図った。短期間での変更であったため、決死の努力を東郷平八郎のZ旗になぞえ、エンジン名『27E』を『27E-Z』に変更している。
日本国内では同クラス初のフロアシフトによる4速マニュアルトランスミッション、日本製乗用車としては初のマクファーソン・ストラット式の前輪独立懸架など、30以上に及ぶ新機構が取り入れられた。当時3速式主流の中での4速化は高速化時代への対応、フロアシフトは操作性向上とコストダウンが目的である。当時フロアシフトはトラックのイメージが強かったため4速式コラムシフト仕様も用意されたが、実際に売り出すと顧客の多くは4速フロアシフトを選んだ。コンパクトなストラット式懸架は、以後日本メーカーの多くが小型車分野で追随して採用した。細かいところでは丸型メーター、後退灯、「ドアキーの上下関係なく施開錠できる鍵」なども日本では初代カローラが最初に取り入れている。
当時の大衆車が軒並み1,000ccであったことに対し、プラスアルファ部分を強調したキャッチコピー『プラス100ccの余裕』を採用し発売を開始したカローラは、市場において競合モデルのサニーよりも2.2万円高い価格設定ながら装備と価格のバランスが良く、そこそこ高級感と割安感が高かったことが受け入れられ、サニーを凌駕する人気を獲得、意図したとおりの商業的成功を収めた。CM出演者は竜雷太・早川雪洲。浜口庫之助がCMソングとして「恋のカローラ」「いとしのカローラ」などを作詞・作曲している。
発売翌年の1967年2月には二台のカローラで北米大陸を横断する実験を行った。極寒のロッキー山脈を超える必要があったが、当日は天気が良くマイナス10度くらいにしか下がらなかったため、無事1万1,000kmの横断を遂行した。次にはさらに北上し、マイナス32度のカナダのフリンフロンからトロントまでの耐久実験を行い、これも完遂した。
- 1966年10月20日 – 東京モーターショーで発表され、同年11月5日に発売。発売当初は2ドアセダンのみ。同時にオセアニアにも輸出を開始。
- 1967年3月 – 当時米国統治下だった、沖縄でも輸出開始。
- 1967年5月 – 4ドアセダン(KE10F型)とバン(KE16V型)が追加され、同時にデラックスにトリップメーターが標準装備(ただしバンは除く)となり、トヨグライドと呼ばれる、2速AT車も設定。
- 1968年3月 – 仕様変更。フロントバンパー取り付け位置の若干のかさ上げ(米国安全基準の対応強化)に伴う全幅の拡大(1,485mm → 1,490mm)、およびダッシュボードのソフトパッド化、メーターパネルの無反射ガラスの採用、メーターパネルの意匠の変更(2眼式 → 3眼式)、2スピードワイパーの標準装備化、メーカーオプションでフロントディスクブレーキを新設定。派生車種の2ドアクーペ「カローラスプリンター」発売開始。セダンにもスプリンター同様の73PSの最高出力を持つツインキャブエンジン(K-B型)を搭載したSLを追加。フロントディスクブレーキとタコメーターを標準装備。SL以外のグレードには4速コラムシフトMT追加。同年から北米と欧州へ輸出開始。
- 1968年7月 – トヨタ・オーストラリアが、オーストラリア国内における現地生産を開始。
- 1969年2月 – マイナーチェンジ。エクステリアとインテリアの意匠の変更のほか、衝撃吸収ステアリングやヘッドレスト、サイドベンチレーター、部分強化ガラスなどを標準装備し、安全面、機能面での充実を図った。これに伴いセダンに64psの最高出力を持つ高圧縮比エンジン(K-D型)を搭載し、フロントディスクブレーキや専用木目インパネなどを標準装備したハイデラックスを追加。
- 1969年9月 – 一部改良。これまでのK型エンジンに代わり、排気量を100ccアップした3K型エンジンを全車に搭載。これに伴い前輪サスはトーションバー式スタビライザーが装着されたマクファーソン・ストラット式サスペンションが2ドアセダンと4ドアセダン、カローラスプリンター(2ドアクーペ)の全グレードに装備された。1,200ccエンジン搭載モデルの車体型式は2ドアセダンがKE11、4ドアセダンがKE11F、2ドアクーペ(カローラスプリンター)がKE17、バンがKE18Vとなる。
販売期間 | 1966年11月 – 1970年5月 |
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設計統括 | 長谷川龍雄 |
乗車定員 | 5名 |
ボディタイプ | 2/4ドアセダン 2ドアクーペ 3ドアバン 3ドアステーションワゴン |
エンジン | 1,200/1,100cc 直4 |
駆動方式 | 後輪駆動 |
変速機 | 2速AT 4速MT |
サスペンション | 前:マクファーソンストラット(横置きリーフ) 後:リジット(縦置き半楕円リーフ) |
全長 | 3,845mm |
全幅 | 1,485mm ※1968年3月以降のモデルは1,490mm |
全高 | 1,380mm |
ホイールベース | 2,285mm |
車両重量 | 710kg |
ブレーキ | 前: ツーリーディング式ドラム 後: リーディングトレーリング式ドラム |
データモデル | 2ドアセダン1100DX 4速MT(1966年型) |
トヨタ東京カローラ 初代カローラ レストアプロジェクト
カローラ ヒストリー 1966〜1987