凸版印刷が1995年(平成7年)に、ピザをイタリア文化のシンボルとしてPRする日として制定。また、ピザ業界の発展を目指して結成されたピザ協議会も「ピザの日」を制定している。
日付はピザの原型であるピッツァ・マルゲリータの名前の由来となったナポリ国王・ウンベルト1世の妻・マルゲリータの誕生日から。
1889年にイタリアのナポリを訪れた王妃はピザ職人からトマトの赤・バジルの緑・モッツァレラチーズの白のイタリア国旗の色を模したピザを贈られた。王妃はこれを大変気に入ってその名を冠するピザが誕生したという。
なお王妃訪問後、「100年続いたものは永遠に続く」というイタリアのことわざにならい、100年後の1989年に「ピザの一世紀」と題したイベントがイタリア国内で行われた。
記念日はピザ協議会が制定した日として一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。この日を中心として、ピザの割引キャンペーンを実施している店も見られる。
「ピザの日」のロゴも、イタリアの国旗やピザに使用される食材の赤・緑・白の3色により表現している。また、このロゴは円形のクラストからチーズたっぷりのピザが切り離される様子と、人が口を開けてピザを食べている様子を同時に表現している。
ピザの歴史
ピザの定義や語源は曖昧であるが、イタリアにはフォカッチャがあり丸パンに具材を乗せるところから、ピザの原型とされている。
フォカッチャが作られる前にも、エジプトには円盤状のパンに具材を乗せて焼いた物が現ピザの調理法と酷似していることから、原型はエジプトからイタリアに伝来していると言う説もある。
現在「ピッツァ」と呼ばれる料理が誕生したのはイタリアのナポリである。ナポリ第二大学の栄養学教授カルロ・マルゴーニによれば、初めて薄くのばしたパン生地にトマトソースを載せて焼いたピザが作られたのは1760年頃だという。1803年には初めてピッツェリアが創業した。
イタリア系移民がアメリカ合衆国にピザを導入したのは19世紀末である。1905年にはニューヨークのリトル・イタリーに米国初のピッツェリアが創業した。第二次世界大戦後にはイタリア系米国人以外にも普及した。ピザは米国で独自の発展を遂げ、今日ではホットドッグやハンバーガーに並ぶアメリカの国民食的位置づけにもなっている。
2017年12月、イタリア南部のナポリに伝わるピザ職人「ピッツァイオーリ(pizzaioli)」の技が、ユネスコ無形文化遺産に登録された。
日本におけるピザ
現在は、従来よりも本格的なピザが冷凍食品として出回るなど、一般食品としても定着している。
ピザ協議会の調査によると、2010年(平成22年)度の日本におけるピザ末端売上高は、2,271億円に達している(1980年度は約500億円)。
なお、沖縄県では戦後、長期間に亘ってアメリカの統治を受けた影響もあり、本土よりも早くピザが普及し、現在はすっかり県民の食生活に定着しているが、歴史的経緯からアメリカ風ピザがほとんどである。
「日本初のピザ」は、第二次世界大戦中に神戸に着いたカリテア号(イタリア海軍の特務艦)の、乗組員2人が関与したとされる。まず、アントニオ・カンチェミ(1916 – 2003)が1944年(昭和19年)に僅か2ヶ月間だけ開いた神戸のレストランにて、初めてピザが焼かれたという説がある。
もう一つは、戦後の1946年(昭和21年)9月1日に、兵庫県宝塚市の宝塚温泉街にある寶來橋付近で創業したイタリア料理店“アベーラ”という説である。初代店主となったオラッツィオ・アベーラ(1913 – 1974)はシチリア出身で、昭和21年当時は日本国内にはイタリア料理店などはほぼ存在せずに、一般的ではなかった戦後間もない時に創業した。なお、阪急今津線宝塚南口駅界隈にある洋館建ての店舗は、オラツィオが帰天した後の1971年(昭和46年)に“アモーレ・アベーラ”として元の自宅を改装して移転した店舗で、子息のエルコレ・アベーラがオーナーとなり、父親から伝授したシチリア風テイストを受け継いでいる。
「日本初のピザハウス」は、1954年(昭和29年)、進駐軍のGI出身でイタリア系アメリカ人のギャング、ニック・ザペッティが、六本木に開いた“ニコラス”とされる。米陸軍の部隊を対象客層としてオープンしたが、日本人の若者層にも人気を博し、認知された。
1964年(昭和39年)には、日本ペプシコーラ創業者でもあった比嘉悦雄がアメリカから冷凍ピザを輸入し、販売を開始。その後は国内製造も行われ、スーパーマーケットなどで入手可能となり、家庭に普及し始める。
1973年(昭和48年)、アメリカのチェーン店“シェーキーズ”が日本初進出。
1970年代半ば頃に差し掛かると、喫茶店や洋食店、ファミリーレストランなどで、ピザパイとして普及が始まる。前後して、ピザトーストも考案される。
1985年(昭和60年)9月30日、日本で初めての宅配ピザ店“ドミノ・ピザ”恵比寿店が誕生。
平成に入ると、さらに宅配ピザ店が全国に店舗を広げ(後述)、徐々にピザは一般的になっていく。そのほとんどはアメリカ風ピザであったが、1990年代のイタめしブームによってイタリアンピザも紹介され広まっていった。
2018年(平成30年)7月28日、日本で(アジアでも)初めてピザ自動販売機“Pizza Self”が、広島県広島市西区のレンタルビデオ店TSUTAYA楠木店に設置された。
前述のピザトースト以外にも、パン屋におけるピザパン(惣菜パン)、ピザドッグ(ホットドッグ)、1972年のオープン時に既にあったロッテリアのイタリアンホット(ホットサンド)、1979年に登場したピザまん(中華まん)、コンビニエンスストアにおけるブリトー(トルティーヤ)、スティックピザ、ピザ味の商品(スナック菓子)など、多様である。
日本のピザは「日本でピザを食べるとなると、高いわりに美味しくないし」とアメリカ人の評判が良くなく、中には「コーンマヨピザってのを見た時には、めまいさえして倒れるかと思ったほど」という意見までもあった。
【マルゲリータ】フライパンで焼くピザの作り方 │ Frying pan Pizza