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3月18日今日は何の日?:人類初の宇宙遊泳が実現

投稿日:

1965(昭和40)年3月18日、ソ連の宇宙衛星船

ボスホート2号

が打ち上げに成功しました。

同船は地球を17周する間に船外作業を実施。

その過程で、乗船していたアレクセイ・レオーノフ飛行士が宇宙船を離れ、約10分間人類初の宇宙遊泳を行いました。

宇宙遊泳のニュースは全世界で大きな話題となり、その後多くの映画でも宇宙遊泳が取り上げられるようになりました。

 

ボスホート2号

ボスホート2号(ボスホート2ごう、ロシア語:Восход-2、ラテン文字:Voskhod 2)とは、1965年に2人の宇宙飛行士を乗せて打ち上げられたソビエト連邦の有人宇宙船である。外部に通じるエアロックを備え、飛行中に世界初の船外活動(宇宙遊泳)が行われたが、帰還まで様々なトラブルに見舞われた。ボスホートはロシア語で日の出を意味する。コールサインは「アルマース(Алмаз、ダイアモンドの意)」。

宇宙船の設計

ボスホート宇宙船はボストーク宇宙船を改良し複数人が乗れるようになったもので、アメリカのジェミニ計画に対抗するものだった。機体はボストークと同じように帰還用のカプセルと機械船の2つのモジュールから構成されていた。帰還カプセルは実際に宇宙飛行士が乗る球形の与圧部分で、大気圏突入時の高温に耐えられるようになっていた。機械船にはロケットエンジンなどが装備されていた。大気圏突入前にはカプセルと機械船が分離され、カプセルのみが地上に軟着陸した。

ボスホート1号には宇宙飛行士が3人乗ったが、2号では船外活動のための伸縮式のエアロックを装備する代わりに乗員が2人に減らされた。船外活動はアメリカのジェミニ計画でも予定されていたが、こちらは宇宙船全体の空気を抜いた上で船外活動を行う設計だった。一方でボスホート2号は二重扉構造となった専用のエアロックを使用することで、船外活動中でも宇宙船内を与圧された状態に保つことができた。ただし、エアロックの使用中に万が一気密が失われた場合に備えて、船外活動を行わない宇宙飛行士も宇宙服を着用しなければならなかった。また、仮に船外活動を行っていた飛行士が意識を失った場合は、船内に残ったパートナーが救助に向かう計画だった。

飛行の準備

ボスホート2号の船長としてパーヴェル・ベリャーエフ、船外活動要員としてアレクセイ・レオーノフが選ばれ、2年間に渡る訓練が始まった。無重力で宇宙遊泳中の作業の手順を確認するため、急降下する飛行機の中で繰り返し訓練が行われた。ボスホート2号の打ち上げに向けての準備の途中、ニキータ・フルシチョフ書記長が失脚するという事件が起きたが、計画に大きな変更はなかった。

1965年2月22日、実際の飛行に先立って宇宙船と宇宙服の安全を確認するため無人の同型機が打ち上げられ、コスモス57号と名づけられた。各種機能の実証が行われる予定だったが、地上から誤った方法でコマンドが送信されたため、自爆装置が作動して本格的な活動の前に破壊された。同型機のストックはなく、試験飛行をやり直すためには新しいボストーク宇宙船を製造する必要があったが、そのためにはしばらく時間がかかり、アメリカが先に世界初の宇宙遊泳を行う可能性が高まった。

この事故を受けて計画の関係者が急遽バイコヌール宇宙基地に集結した。当時のソ連の宇宙開発の主導者だったセルゲイ・コロリョフはボスホート2号に乗る予定だったレオーノフとベリャーエフと相談を行った。レオーノフらは自信と信念に満ちており、リスクを覚悟で試験飛行なしでの打ち上げに同意したという。なお、エアロックについては3月に打ち上げられたコスモス59号でテストが行われたが、宇宙服のテストは行われないまま本番を迎えた。

船外活動

周回軌道に入ってまもなく、ベリャーエフは地上に船外活動開始の許可を申し出、受理された。伸縮式のエアロックには空気が送り込まれ、内部に人が入れる大きさまで膨張した。レオーノフは二重扉になったエアロックに入り、エアロックとカプセルを隔てるハッチを閉じた。エアロック内が真空になり、機能のチェックが終了すると、宇宙空間へ通じるハッチが開かれた。レオーノフはこの状態で地上からの許可が下りるまで待機していた。

やがて地上から指示が出たため、レオーノフは足で宇宙船を蹴り、宇宙空間に飛び出した。世界初の宇宙遊泳が行われた瞬間だった。この様子は宇宙船に取り付けられたカメラによって撮影され、数分遅れでソビエト国内に放送されていた。船外活動中にはブレジネフ書記長らソ連の首脳から祝福のメッセージが送られた。船外活動が人体に予期せぬ影響を及ぼすことが懸念されていたが、レオーノフの気分は良好だった。

やがて予定していた時間が経過し、レオーノフは宇宙船に戻ろうとした。しかしこの時になって初めて、レオーノフは自身の宇宙服が異常に膨らんでいることに気づいた。緊急事態を受けてソビエト国内での船外活動の放送は中断された。彼はエアロックに予定通り足から入り込むことが不可能と判断し、頭から突っ込む形で潜り込んだ。さらに宇宙服内の酸素を少し抜いて膨張の緩和に努めた。続いて狭いエアロックの中で体を反転させ、エアロックと宇宙空間を結ぶハッチを閉じた。レオーノフは生還することができたが、一連の非常事態のためひどく緊張し汗だくになっていた。

帰還まで

宇宙遊泳の次の任務は不要となったエアロックを切り離すことだった。船外活動から一時間半後、エアロックとカプセルの間に取り付けられた爆薬が点火され、切り離しが行われた。だが同時に宇宙船が回転を始めてしまった。この回転は21秒に1回の速さで、致命的な回転速度ではなかったが、宇宙船が地球の昼の側を飛んでいる間は窓から定期的に強い太陽光が差し込むことになったため、乗員にとってストレスとなった。

しばらくすると船内の酸素濃度が上昇するという別の問題が発生し、火災・爆発の危険が出てきた。地上からの指示に従って乗員が対処を行うと酸素濃度の上昇は止まり、やがてバルブが動作して酸素を逃がし始めたため、この問題は無事に乗り切ることができた。それからは、宇宙船の回転は続いていたものの、比較的順調に飛行が進んだ。

ボスホート2号は予定していた飛行期間を終え、地球へ帰還するため自動帰還システムが起動された。宇宙船の回転は止まった。しかし軌道から離脱するための逆噴射を行う直前になってシステムが異常をきたし、自動での帰還は諦められた。ベリャーエフとレオーノフは手動で設定を行い、逆噴射を実行した。宇宙船は軌道を離れ大気圏に突入したが、本来なら分離されるはずの機械船が帰還カプセルに結合したままだったため、カプセルは予想外の強い加速度を受けることになった。しばらくすると大気の衝突で機械船の結合が切れ、正常な状態に戻った。パラシュートや軟着陸用ロケットは順調に作動し、カプセルはシベリア奥地のタイガに着陸した。

実際の着陸地点は予定地点から2,000km{英語版では386km}も離れていたため、救援隊が駆けつけるにはしばらく時間がかかった。1日目には飛行機から救援物資が投下されるのみだった。2日目には救援隊と合流し、その場で夜を過ごした。3日目になってようやくヘリコプターの着陸場所が確保され、飛行機を乗り継いでバイコヌール宇宙基地へ戻ることができた。

 

アレクセイ・レオーノフ

アレクセイ・アルヒポヴィチ・レオーノフ(ロシア語: Алексе́й Архи́пович Лео́нов, ラテン文字転写: Alexey Arkhipovich Leonov, 1934年5月30日 – 2019年10月11日)は、ソビエト連邦の軍人、宇宙飛行士。1965年に世界で初めて宇宙遊泳を行った。

レオーノフは、ソビエト連邦において、1960年にユーリイ・ガガーリンらとともに最初の宇宙飛行士として空軍から選抜された20人のうちの一人であった。

1965年3月18日7時UTCにボスホート2号に搭乗し、パベル・ベリャーエフ大佐とともにバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。UTC18日8時34分より約10分間、宇宙遊泳を行った。ボスホート2号は3月19日に帰還している。このとき、宇宙服(ベルクート宇宙服)内の気圧が上がりすぎ、服全体が膨張し、手を握ることも出来ず、エアロックを通って船内に戻ることが出来なくなったため、与圧バルブを開いて空気を逃がして漸く事なきを得た。この事実は当時は発表されることはなかった(なお、ドキュメンタリードラマ「宇宙へ ~冷戦と二人の天才~」では、ここでセルゲイ・コロリョフの指示があったと描写されているが、実際にはレオーノフの独断であった。このことはレオーノフが自著「アポロとソユーズ」に書いている)。

1968年からはソビエトの月接近飛行計画及び月着陸飛行計画のメンバーに選抜されている。しかし、宇宙船の開発の遅延とアメリカ合衆国のアポロ計画の成功により、これらの計画はキャンセルされた。

1971年に打ち上げられたソユーズ11号は当初、レオーノフを船長として、ワレリー・クバソフ、ピョートル・コロディンを加えた3人が搭乗し、サリュート1号へ向かう予定であったが、打ち上げの4日前に行われたX線検査でクバソフが結核に感染していることが発見され、規定によりバックアップ・クルーの3人と交代する事となった。しかし、ソユーズ11号は地上へ帰還する際、帰還モジュールに装備されていたバルブの欠陥による空気漏れ事故が発生し、交代したクルー3人が全員死亡するという悲劇に見舞われた。レオーノフは、問題のバルブがしばしば誤作動を起こしていたことを認識しており、突入前の宇宙船との交信で、自動ではなく手動でバルブを操作するようにとアドバイスしていた。しかし、結局クルーは自動でバルブを動作させ、死亡事故に至った。彼は、自分がソユーズ11号に乗っていれば事故は起こらなかったと自責の念にかられたという。

1975年にはソユーズ19号に搭乗し、アポロ18号とのドッキング(アポロ・ソユーズテスト計画)を行っている。

1976年以降は宇宙飛行士の育成にあたり、1991年に引退している。

宇宙開発の任務に携わっていた時期から、趣味として宇宙などを題材とした絵画を描いている。また数度の来日経験がある。1980年に放映された日本の教育テレビスペシャル・「人間は何を作ってきたか 交通博物館の世界」では「ロケット」の回でロシア~ソ連のロケット開発の歴史を紹介するホスト役としてソ連国内でのビデオ収録で出演した。この当時はソ連の有人月旅行計画は公にされていなかったため、番組中では「ソ連は有人の月探査を考えていなかった」という事実とは異なる(当時のソ連の公式の)説明をおこなっている。

大変気さくな人柄で、2003年日本では初めて開催された『第18回世界宇宙飛行士会議』のトークセッションでは、通訳を介することを忘れるほど熱意をこめて宇宙への思いを話していた。また、世界宇宙飛行士会議の会場となった東京の日本科学未来館には、展示されている自らの写真にロシア語とともに日本語のカタカナで「レオノフ」とサインを残している。

2019年10月11日、モスクワの病院で死去。85歳没。

 

 

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