当時、鹿児島・屋久町観光課長を務めていた岩川貞次氏が、小杉谷の奥に巨大な屋久杉があるらしい…!との話を聞きつけ、実際に調査を開始。
調査探索の末、1966(昭和41)年5月28日にとても巨大な屋久杉を発見しました。
発見当初は、そのあまりの巨大さから
大岩杉
と命名。
その後、推定樹齢が4,000年以上とされ、樹木が縄文時代から生きている大岩杉のうねる幹の造形が縄文土器の文様に似ているなどなどのことが伝え広がり、いつしか
縄文杉
という呼称に変わっていったそう。ちなみに、専門家による調査の結果、実際の樹齢は約4,000〜7,000年以上前と推定されております。
年齢推定
1976年、九州大学工学部の真鍋大覚助教授により、周囲の樹木の年輪測定、幹周の大きさなどから、樹齢7,000年以上と推定され話題になった。しかし、その後の調査で古木の周囲を3本程度の若い木が融合して包み込んでいる合体木である可能性が浮上し、外側の若い木の部分の年代測定では樹齢約2,700年と判定された(芯部の古木は樹体保護のため未調査)。ただし、鹿児島大学農学部が縄文杉のパーオキシダーゼをアイソザイム分析した結果、縄文杉は合体木ではなく一つの木であることが証明されている。また、調査によって倒木更新の痕跡も発見されている。
また約7,300年前に鬼界カルデラから広がった幸屋火砕流によって、屋久島を含む九州南部諸島の大型植物は全滅したと考えられており、縄文杉の樹齢は古くとも4,000年以上はさかのぼらないとするのが定説になっている。一方で、後代に持ち込まれた記録の無いヤクシマザルなどの大型動物が現存していることから、屋久島全体が火砕流に飲み込まれたのではなく一部の動植物は生き延びたのではないかとする意見もある。
データ
- 幹周:16.1m
- 樹高:30m
- 樹齢:推定3,000年以上(2,500年説もあり)
[8K footage] Yakushima island Yakusugi [屋久島 vol.2 屋久杉 8K]