東京アイスクリーム協会(現:一般社団法人・日本アイスクリーム協会)が1965年(昭和40年)に制定。
1964年(昭和39年)、アイスクリームのシーズンが始まる連休明けの時期である5月9日を「アイスクリームデー」と決め、東京アイスクリーム協会が記念事業を開催し、都内の施設や病院などにアイスクリームをプレゼントした。
このことがきっかけとなり、以後、同協会では5月9日を「アイスクリームの日」として、各地でイべントやプレゼントなどのPR活動を実施している。
アイスクリームについて
日本初のアイスクリーム(氷菓)は、1869年(明治2年)に町田房蔵が横浜の馬車道通りに開いた「氷水屋」で、「あいすくりん」という名称で製造・販売したものである。一人前の値段は2分(現在の価値で約8000円)と大変高価なものだった。町田が「あいすくりん」を初めて製造・販売した日が5月9日であるという説もあるが、これを裏付ける資料は確認できていない。
「あいすくりん」は、町田に製法を教えた出島松蔵により、明治天皇に献上されている。このアイスは富士の氷穴と函館の天然氷を用いて製造したものであると本人が書き残している。
1902年(明治35年)、東京・銀座の資生堂薬局(現:資生堂)内にアメリカのドラッグストア形式を参考にしたソーダファウンテン(現:資生堂パーラー)を併設し、アイスクリームとアイスクリームソーダの製造・販売を始めた。このアイスクリームは、卵の黄身を使い、レモンの香りのあるフランス風アイスクリームで、その美味しさから銀座名物となり、アイスクリームは世に広まっていった。
アイスクリームの起源
乳製品を天然の氷や雪で冷やして食べる習慣は紀元前より見られた。すでに殷の時代の中国や古代エジプトにはシャーベットのような冷菓が存在した。
ユリウス・カエサルやアレクサンドロス3世(大王)は乳や蜜に氷や雪を加えて飲んだという話が伝わっている。また、もともとは3000年以上前に中国で作られた菓子であるとマルコ・ポーロは伝えている。彼が中国で乳を凍らせたものを食べ、その製法をイタリアに伝えたという話もある。
16世紀初頭にパドヴァ大学の教授だったマルク・アントニウス・ジマラが常温の水に多量の硝石を溶かすと溶解熱により吸熱反応を示し、水の温度を下げることができることを発見した。また16世紀中頃にはベルナルド・ブオンタレンティ(Bernardo Buontalenti, 1536年 – 1608年)が氷に硝石を加えることで-20℃程度まで温度が下がることを発見した。この原理を利用することで雪や氷を使用しなくてもシャーベットのような食品を人工的に凍結させることが可能となった。もちろんその水溶液から硝石は何度でも回収できる。
現在のアイスクリームの原型は16世紀中頃、フィレンツェでブオンタレンティがメディチ家のために創作したセミフレッドのズコットとされている。フランスのオルレアン侯アンリ(後のアンリ2世)に嫁いだメディチ家の カテリーナ・デ・メディチ(Caterina de’ Medici, 仏名:カトリーヌ・ド・メディシス(Catherine de Médicis)、1519年 – 1589年)が、菓子職人とともにフランスに持ち込んだとも言われる。しかし、米国ニューヨーク大学のローラ・ワイスは、この話には根拠がないと述べている。
1686年、シチリア出身のフランチェスコ・プロコピオ・ディ・コルテッリ(仏名フランソワ・プロコープ)がパリでカフェ「ル・プロコープ」を開店し、1720年、シチリアの氷菓グラニータをアレンジしたグラス・ア・ラ・シャンティ(glace à la chantilly)を売り出した。これはホイップクリームを凍らせた氷菓であり、アイスクリームの商業的成功の最初の例と見なされている。
イギリスには1624年、カトリーヌの孫アンリエット・マリーがチャールズ1世(1625年 – 1649年)の元に嫁いだ時にジェラート(アイスクリーム)職人を伴い伝わったと言われる。チャールズ1世の宴会でフランスの料理人ド・ミレオによって作られ、大いに賞揚されたという。チャールズ1世は、アイスクリームの製法を秘密にし、王にだけアイスクリームを提供する見返りに、アイスクリーム職人に一生年金を与えたという伝説がある。しかし、この逸話は19世紀以前の文献には現れず、アイスクリーム売りによる創作とされている。なお、この時代になってもアイスクリームはまだ乳製品をほとんど使用しておらず、代わりにメレンゲを使用したシャーベットに近いものであった。
自家製バニラアイスクリームの作り方|How to make Homemade Vanilla Ice cream