2010年(平成22年)に日本プロボクシング協会が制定。
1952年(昭和27年)のこの日、世界フライ級タイトルマッチで挑戦者・白井義男(1923~2003年)がチャンピオンのダド・マリノ(アメリカ、1915~1989年)に15回判定勝ちし、日本初のボクシングのチャンピオンになった。
以後、4度の防衛を果たした。敗戦ですっかり自信をなくした日本人にとって、白井の王者獲得とその後の防衛での活躍は”希望の光”であった。
1954年(昭和29年)11月26日、パスカル・ペレス(アルゼンチン、1926~1977年)に15回判定負けし、白井は王座から陥落した。1955年(昭和30年)5月30日、世界王座再挑戦で、ペレスとのリターンマッチが開催された。5回KOで敗れ、白井は現役引退となったが、この試合のテレビ中継は最高視聴率96.1%を記録し、テレビ放送視聴率の中で最高となっている。
この日には毎年「ファン感謝イベント」が開催される。「ボクシングの日」の第1回イベントでは後楽園ホールに現役を含めた歴代世界王者38人が集まり、プロボクシング・世界チャンピオン会の発足式が行われた。
1952. 5.19 世界フライ級タイトルマッチ ダド・マリノvs白井義男