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9月24日今日は何の日?:「本田技研工業」が創立

投稿日:

 

1948(昭和23)年9月24日、

本田技研工業

が創立され営業を開始しました。

本田宗一郎氏が1946(昭和21)年に創業した『本田技術研究所』を再編したかたちとなり、

  • オートバイ
  • 自動車
  • 航空機
  • 耕耘機
  • 芝刈機
  • 除雪機
  • 発電機
  • 船外機
  • 太陽電池

などの製造および販売を展開しております。

また、近年では、

  • 小型ジェット機エンジン
  • メガソーラー太陽光発電施設

などの分野も積極的に開発しております。

ホンダの技術は世界的に受け入れられており、特に自動車分野ではトヨタに次ぐブランド力で、自動二輪車の売上は『世界第一位』を記録しております。

 

本田技研工業

事業内容

本田宗一郎が1946年に静岡県浜松市で本田技術研究所を起業し、後に本田技研工業へ改組した。二輪車(オートバイ)、四輪車(自動車)およびライフクリエーション事業(汎用製品:耕耘機・芝刈機・除雪機・発電機・船外機)を主要事業としている。また、新規事業としてHondaJet(ホンダジェット)と呼ばれる小型ジェット機及びターボファン式ジェットエンジンの開発・生産、二足歩行ロボット「ASIMO」に代表される各種ロボティクス機器の研究開発、風力発電施設による売電事業なども展開している。米ブランドコンサルティング会社のインターブランドが発表した2019年の世界ブランドランキングでは、日本の企業では7位のトヨタに次ぐ21位である。

 

方針

藤沢武夫の「(ホンダの)社長は技術者出身であるべき」という言葉が今も守られており、現職の八郷隆弘に至るまで、歴代の社長はすべて技術者出身である。そのうち福井威夫まではエンジン開発部門の技術者であり、本田宗一郎以外の全員が四輪F1もしくは2輪WGPのエンジン開発経験がある。また、本田宗一郎、藤沢武夫の両人とも、子供をホンダに入社させない方針であった。創業初期に重要な役目を担った本田の実弟・弁二郎も退社させている。その後、弁次郎はホンダの部品メーカー本田金属技術を、長男の本田博俊はホンダのアフターパーツメーカー「無限」を創業した。

創業者一族による会社の私物化の弊害を恐れる本田の信念が貫かれ、縁故採用は一切行わず、実力本位の採用を行っている。もっとも、初期の頃は本田と自身の父親が知り合いだった縁で入社した2代目社長の河島喜好のように親戚・口利きで問題なく入社することができた。縁故採用を行わないルールを作成したのは、会社がある程度大きくなってからのことであり、縁故採用を行うわけにはいかない本田宗一郎の個人的事情が陰にあった。一方で中途採用には積極的であり、初期の自動車開発を進め、F1監督も務めた中村良夫を始め、ASIMO開発の中心者である広瀬真人、SH-AWDなどの駆動力制御が専門である芝端康二も中途採用組である。ほかにも本田の思想が反映した事例としては、社長室がない、重役達は一つのフロアを共有しているという特徴がある。

 

環境への取り組み

CVCCエンジン

1971年には、低公害技術であるCVCCを発表。米国でマスキー法という環境規制法が成立しており、その規制開始期限までに規制に対応するエンジンは世界中のメーカーが開発不可能と言われていたほど厳格な規制であった。そのマスキー法の条件をクリアしたのが、当時、日本の中小メーカーだったHondaであり、Hondaの名前を世界に知らしめた。翌年から翌々年にかけてトヨタ、フォード、クライスラー、いすゞに技術供与した。

近年は、ハイブリッド車インサイトやシビックハイブリッドなどの二酸化炭素の排出量の少ない車両の本格普及に向けての低価格なハイブリッドカーの販売、地球環境産業技術研究機構(RITE)との共同研究による、稲わら、麦わら、コーンの茎などの農業廃棄物や木屑などのバイオマス資源からエタノール燃料を効率的に生産する循環型エネルギー技術の開発、各工場での生産体系や物資輸送体系の見直し、有志による海岸の清掃活動など、多岐に渡っている。

また日本国外では、中華人民共和国内モンゴル自治区通遼市のホルチン砂漠での植林作業を展開し、砂漠緑化活動も毎年行っている。

これらの環境問題に対して積極的に取り組んでいるだけでなく、来るべき未来に向けた次世代環境技術の実践開発として、水素燃料電池自動車FCXクラリティのリース販売、環境負担の少ない水素燃料生産供給インフラ「太陽電池式水電解型水素ステーション」、既存の都市ガスなどの天然ガス供給インフラから水素を製造しつつ、燃料電池コージェネレーション機能によって家庭用の熱(給湯や暖房など)および電力の供給を行う「ホーム・エネルギー・ステーション」の開発及び実験稼動も行っている。

 

オートバイ

自転車用原動機製作が社業の始まりとなり、ヒットを記録。その後、原動機付自転車の分野でスーパーカブが空前絶後の大ヒット、全世界で使用された。これによって、「スーパーカブのHonda」と知名度を大いに上げ、国際二輪業界において日本のメーカーが覇権を握る下地となった。スーパーカブは全世界通算で1億台(2017年10月末時点)が製造され、「世界で最も多く製造されたオートバイ」となっている。

社の業務として「モータースポーツの振興」を挙げるだけあって、スポーツモデルにも力を入れており、二輪ロードレースの世界最高峰カテゴリであるロードレース世界選手権 (MotoGP)や プロダクションレースであるスーパーバイク世界選手権(SBK)での実績をフィードバックしたスポーツモデルが好評である。また、公道走行可能なバイクだけでなく、ロードレーサーやモトクロッサーなどのコンペティションモデルの市販とサポートにも熱心である。

2008年からは浜松製作所で生産している中型・大型二輪部門を熊本製作所に移管、熊本製作所に二輪車の新工場を建設し浜松製作所の二輪生産に従事する1,500人は熊本製作所に配置転換された。浜松製作所では自動変速機の生産を強化した。

一時期三ない運動により大打撃を受けたが、スズキ、ヤマハ、カワサキといった大手二輪車メーカーらとともに「三ない運動を推進している地域ほど二輪車事故が多発している」と反論を展開するとともに、徳島県内の私立高校と協力して二輪車講習を鈴鹿サーキットで行うなど高校生の交通安全教育に力を注ぎ成果をあげた。

ほとんどの分野、ほとんどの排気量において優秀なモデルを送り出し、オートバイ生産台数世界第1位の座を盤石のものとしているホンダであるが、日本国内向けの需要は年々減少を続け、2009年の日本国内の年間生産台数は18万台までに低下。一方、日本国外の工場では、旺盛な需要の下、インドではヒーロー・ホンダ社、ホンダ・モーターサイクル・アンド・スクーター・インディア社の2社で560万台、インドネシアではアストラ・ホンダ・モーター社が300万台と生産数を増加させており、排気量の多寡があるとはいえ、日本の工場が一大生産生産拠点であった時代は過去のものとなった。

なお、ドイモイによる経済自由化以降、大量の中古オートバイが輸出されたベトナムでは、その品質の高さと並外れた耐久性、修理における簡便性によって人気が高く、オートバイを指す一般名詞としてHondaの語が使われる事がある程である。

2010年7月、ホンダは日本における若者の車離れ(二輪車離れ)に歯止めをかけるため、全二輪車の価格を値下げを発表、スーパーカブ50で約4万円、最廉価のフォルツァで約12万。これと並行して日本で生産している二輪の小型車を全て日本国外での生産に移管させる方針を明らかにしたが、その後円安傾向により国内生産のメリットが高まったため方針を転換し、2015年9月より熊本製作所においてミニバイクを増産することを公表した。2016年10月5日、縮小している国内向け50ccスクーターの生産・開発でヤマハと業務提携を検討、2018年をめどにヤマハの子会社である台湾山葉機車工業が製造している「ジョグ」と「ビーノ」をOEM生産として熊本製作所に移管して製造することとしている。

 

2輪レース

1961年スペインGP125ccクラスでWGP初優勝したRC143

オートバイメーカーとして設立翌年の1949年には日米対抗レースにC型モーターサイクルで出場し優勝。1959年よりマン島TTレースに出場し、1960年よりロードレース世界選手権(WGP、現MotoGP)に本格参戦。最高峰クラス(現MotoGPクラス)では1966年の初勝利以降、2006年終了時点で通算200勝を達成した。生産者部門におけるタイトル獲得総数は参戦メーカー中1位(2010年時点)。

2輪レース活動はホンダ・レーシング (HRC) が統轄し、MotoGPのほかスーパーバイク世界選手権、ブリティッシュスーパーバイク選手権、世界耐久選手権、モトクロス世界選手権、トライアル世界選手権などに参戦している。

1960年代のレースシーンでは本田宗一郎の意向でパワーに劣る4ストロークエンジンをあえて採用。多気筒・高回転化を推し進め、2ストロークエンジンに対して何ら遜色ない戦闘力を発揮した。

日本では全日本ロードレース選手権、全日本モトクロス選手権、全日本トライアル選手権に参戦。世界耐久選手権の1戦である鈴鹿8時間耐久レースは地元開催であり、メーカーとして最多の24勝を記録している(2011年時点)。

また、自転車競技においてもマウンテンバイク (MTB) のダウンヒル競技に独自開発のマシンRN01を投入し、国内のMTBジャパンシリーズやNORBA、世界選手権などで好成績を挙げている。

 

4輪レース

1965年メキシコGPでF1初優勝したRA272

F1世界選手権には、1964年から1968年にコンストラクターとして参戦し、2勝を記録。1983年から1992年、2000年から2005年は車体の共同開発を含めたエンジンサプライヤーとして参戦し69勝を記録。2006から再びホンダ・レーシング・F1チームとして参戦し、1勝を記録。しかし、2008年12月5日、金融危機以降の経営環境の変化に伴い、F1からの撤退を表明した。2013年5月には、2015年よりマクラーレンと提携してエンジン(パワーユニット)供給を開始すると発表した。

F2にはエンジンサプライヤーとして参戦し、1960年代にはブラバムに供給。1980年代にはF1復帰への前哨としてヨーロッパF2選手権や全日本F2選手権に参戦し、スピリットの設立に関与した。

インディカー・シリーズにはエンジンサプライヤーとして参戦し、1994年から2002年までCARTで通算65勝、2003年からはシリーズ通算27勝(2005年終了時点)を達成している。なお、2006年から2011年までシリーズのエンジンはホンダのワンメイクであった。2015年からはエンジンに加えエアロキットの供給も行っている。

ジャッドと共同開発したF3000用エンジンは、無限・MF308として全日本F3000選手権やフォーミュラ・ニッポンで2005年まで使用された。2006年よりフォーミュラ・ニッポン→スーパーフォーミュラにトヨタとともにエンジンを供給している。

 

[ Honda 会社紹介ムービー ] 2020年

 

 

 

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