1797年のこの日、フランスのパリ公園でフランス人のアンドレ=ジャック・ガルヌラン(André-Jacques Garnerin、1769~1823年)が高度8000フィート(約900m)の熱気球から飛び降りた。
直径約7mの布製の傘のようなものと一緒に飛び降り、これが世界初のパラシュートによる降下となった。着陸時に衝撃があったものの、当人は無傷であった。また、この時の熱気球とパラシュートはガルヌラン自らが製作したものであった。その後、パラシュートは改良が加えられ、排気弁を取り付けることで安定した降下が行えるようになった。
「パラシュート」(parachute)はフランス語の「守る」(para)と「落ちる」(chute)を組み合わせた言葉である。
パラシュートとは
パラシュートは、飛行する航空機からの脱出や地上・海上施設への人員降下、物資の空中投下、スカイダイビングの最終行程などに使用される。初期のパラシュートは絹製で、これは湿ると重くなる上に、開かない事故がよく起こった。現在はナイロンなどの化学繊維製である。
また、パラシュートの形状には二種類あり、古典的なマッシュルーム型は、その形状からキャノピーが潰れにくく安定している代わりに、コントロール性は劣る(特に着地時の衝撃が建物の2階から土の地面に安全機具なしで飛び降りたときとほぼ同じ衝撃が来るため、定められた受身を取るような着地をしないとケガをしてしまう)。エアスポーツで定番となったラムエアータイプのパラシュートは、断面が翼のようになっており、滑空性能やコントロール性に優れるが、前述のマッシュルーム型と比較すると、キャノピーが潰れやすいという特性がある。
上記の用途の他にドラッグレース競技車の停車やスペースシャトル、戦闘機が着陸滑走時の減速などにも同様の形状のものが用いられているが、これらは減速のみに用いるため、ドローグシュート(drogue chute、drag parachute、ドラッグシュート、制動傘)と呼ばれる。
ドローグシュート(Drogue chute)という小型の傘は、メインパラシュート(主傘)の展開前の姿勢制御(姿勢が安定していないとメインパラシュートの索が絡まって巧く展開しないため)と、予備減速(高速時にいきなりメインパラシュートを開くと裂けて破損するため)と、メインパラシュートを収納部から引き出すために使われる。
日本では航空法第90条で、「国土交通大臣の許可を受けた者でなければ、航空機から落下さんで降下してはならない。」と定められている。コストや重量制限、安全性の問題から民間旅客機にはパラシュートが装備されていないことが一般的である。戦闘機には射出座席が備えられていることが多いため、実際にパラシュート降下を行うのは大型機の搭乗員であるが、軍のパイロットは必須の訓練となっている。ただし訓練のため飛行機から降下するのはコストがかかり初心者には難しいため、櫓から飛び降りる模擬訓練が行われている。現代ではバーチャルリアリティを利用した訓練装置も開発されている。
パラシュートの歴史
パラシュートと類似した道具については中世から、いくつかの記録が残っている。852年にアンダルシアのアルメン・フィルマン (アッバース・イブン・フィルナスも参照) がスペインのコルドバの塔から、木枠で補強した外套を使って飛び降り、軽傷だけで無事着地したという。1178年にあるムスリムがコンスタンティノープルの塔から同じように飛び降りたとしているが、重傷を負い、そのケガが元で亡くなっている。
レオナルド・ダ・ヴィンチが1485年ごろにミラノで書き留めたパラシュートのスケッチが残っており、パラシュートを発明したとする説が多い。しかし、歴史家のリン・タウンゼンド・ホワイト・ジュニアによると1470年ごろにイタリアで無名の人物によって書かれたと推定される書類に2つのパラシュートの図面が残されており、そのうちの1つはダ・ヴィンチのそれに類似している。1617年にヴェネツィアでクロアチア人の発明家、ファウスト・ヴランチッチ(ファウスト・ヴェランツィオ)が、ダ・ヴィンチのパラシュートを作成し、実験を行っている。
その後、必要性がなかったため長らく忘れ去られていたが、1783年にフランス人のルノルマンがパラシュートを再発明し、彼の手によってパラシュートという名前が提案され、定着することになる。2年後の1785年、ブランシャールがパラシュートを使えば、熱気球から安全に飛び降りられることを実験で証明した。実験は犬を使って行われたが1793年にブランシャール本人が搭乗していた熱気球が破裂した際に、実際に自分で試すことになり、無事脱出に成功している。
しかしながら、この頃のパラシュートは木枠の上にリンネルを張ったものが使われており、重くかさばり、実用性に乏しいものであった。また気球も墜落の際に重航空機のように急落下する例は少なく、徐々に高度を落としていく場合がほとんどであり、パラシュートが必要な機会は少なかった。
1790年代にブランシャールはより軽く強靭な絹布で試作を始めた。1797年にガルヌランが新しい絹製のパラシュートで降下を行っている。また、ガルヌランは、パラシュートに排気弁を取り付け安定した降下を行えるよう再設計している。1911年グレープ・コテルニコフが背負い型のパラシュートを発明した。ヘルマン・ラテマンとケーテ・パオルスは気球からのジャンプをおこなった。
1912年3月1日、アメリカ陸軍の大尉、アルバート・ベリーがミズーリ州上空で初めて飛行機からのパラシュートを使用しての降下を行っている。1913年にスロバキア人のステファン・バニッチが初めて近代的なパラシュートの特許を取得している。
1922年10月20日、アメリカ陸軍航空隊のパイロット、ハロルド・ロス・ハリス中尉のローニング戦闘機がオハイオ州上空で補助翼の急激な操作により空中分解を起こした。高度 800 m で空中に投げだされた中尉はアービング式手動開傘式パラシュートで無事に生還し、これがアメリカ初のパラシュートによる非常脱出、世界初の重航空機からのパラシュート脱出となった。当時、各国のパイロット達はパラシュートの携行を嫌っていたが、この事故をきっかけに認識が変わり、翌年にはアメリカ陸軍航空隊において飛行機に搭乗する際のパラシュートの携行が義務付けられた。なお、日本でのパラシュートでの降下第一号は、空中分解事故で1928年6月に三菱IMF2試作機から脱出した中尾純利である。1931年春、宮森美代子がパラシュートで降下し、「空の女王」として人気になった。
嘉手納基地で高高度パラシュート降下をする米軍兵士
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